「正義を手放したい」 畠中 宏(はたなか ひろし)
去年と今年の二年間で、自分を取り巻く環境がずいぶん変わりました。
去年三月に父が他界、今年三月に母も昇天し、長く暮らした兵庫県とも繋がりがなくなりました。今は、住み込みでなかまと一緒に暮らしているグループホーム「こころ」が唯一の居場所です。
自分もずいぶん歳をとり、独り身のままで、両親に孫の顔を見せてやれなかったのは悔やまれますが、かなの家を自分の家、なかまを自分の家族と思いながら暮らしています。
仕事のほうでは、去年八月からすまいの管理者をやっています。この何年かで、かなの家では多くのアシスタントが退職していきました。すまいでも、六年しか勤めていない私がいつの間にか最古参となり、管理者という役割を引き受けざるを得ない状況になりました。
かなの家では伝統的に、ルールを最優先にせずにコミュニティーのメンバーみんなで物事を決めてきました。なかまとアシスタントの関係も、利用者と職員という境界線を意図的に曖昧にして、対等な関係を作ろうとしてきました。
みんなで、と言うと聞こえは良いのですが、声高に発言できる人もいれば苦手な人もいるし、やはり声や圧力の大きな人の意見が通りやすいところはあります。
みんなで共通のゴールにたどり着かないといけないのに、それぞれが自分の意見を通すこと、譲らないことに固執して敵味方の関係になってしまうこともありました。
話し合いの場を持つことは、互いに傷つけあうことをある程度引き受けるということでもあります。体罰が日常的だった時代の学校の先生は、殴るほうも痛いんだと言っていました。殴られる側からすると迷惑な理屈ですが、事実でもあります。誰でも痛いのは嫌なわけで、自分が痛くない道具が欲しくなります。
弱い私たちが敵と戦うために、私たちはしばしば正義を武器として用いました。
私は正しい、あなたは間違っている、という姿勢で互いに睨み合う格好になります。自分の心身に直接つながっていないので、振り回しても自分はあまり痛くありません。自分の心身を剥き出しにしなくてよいので、恥ずかしくもなくなります。
反論を許さず、安全に敵を攻撃できます。正義を手にしたい誘惑がいつもあります。
ラルシュのコミュニティーには、知的障害のあるなかまの生きる姿を手本にしていこうという思想があります。
正義を振りかざす力を持たず、生身で戦って傷つくことを引き受けているなかまは、喧嘩をしても翌朝には仲直りしています。毎日喧嘩しながら、何十年もひとつ屋根の下に暮らしています。
私たちアシスタントは、喧嘩するとなかなか仲直りができません。正義の戦いになってしまっているから、というのが一つの理由かと思います。最後まで正義を手放せなかった人ほど、最後まで歩み寄れず、結果的により多く傷ついて去っていくように見えます。
争いの中で私たちが学んできたことは、正義を手に取るとき、私たちはその背後に、人に触れられたくない痛みや弱さを隠していて、それに触れられることをみんな怖がっているということでした。
支援のあり方や職場環境について意見を出すときにも、根底には個人的な痛みのストーリーが関わっていて、それが正義そのものよりもずっと大事なことらしいということが見えてきました。
私たちの資源は乏しく、ただでさえ人が足りないので、今いる人でどうにかかなの家を支え続けなければいけません。安心してコミュニティーに暮らすには、自分が守られ、認められていることを自覚する必要があります。
それぞれが心の奥底に隠している弱さをオープンにして、お互いを知り、尊重し、平和的に対話を続けていくことで、認められ、癒やされて、みんなが正義を手放しやすくなることを期待しています。
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