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毒親から物理的距離を置けるようになるまで②

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念願の一人暮らし開始

親元を離れ、ずっとずっと願った一人暮らしが始まった。
大学合格は祝ってくれなかった親だけど、学費や生活費は出してくれた。

優しい瞬間を垣間見ると後ろ髪を引かれる思いもあったが、「一人で暮らすんだから」という強い意志で家を出た。

一人暮らしが始まると、案の定毎日のようにLINEは来るし電話も来る。
私は数日に一回だけ返事していた。
せっかく離れているのに干渉されたくない。

しびれを切らした親は、とうとう

なんで親の電話に出ないのか。非常識だ。学費も出してやって、やりたくもない大学にやって、親不孝者か。(以下略)…………………」

見返したくないし思い出したくもない、とにかく長文で私を責め立てるLINEが来た。

当時は毒親なんて言葉も知らないし、ましてや親を大事にしなくていいなんて概念も知らない、まだ学費だって出してもらってるから、どうやっても私の親だもんな…という気持ちで、この罵詈雑言に向き合い、親の怒りを鎮めるために謝り倒すしかなかった。

しかしそれ以来、親から来る連絡頻度は減った。
ありがたいので、私からもあんまり連絡しなかった。それでも、夏休みや正月は必ず帰省していたし、特に揉めることもなく過ごすことができるようになった。
お互い、物理的に距離を離すことで落ち着くこともあるんだなあと思った。

難なく終えた就職報告


就職は、内定をもらっただいぶ後に事後報告した。
大学よりさらに実家から離れる場所での就職だったので、(意図的にそこを選んだ)何か言い訳をつけないと文句を言われるからと、「いずれ帰ってくるから」と上辺の理由をつけて報告。

それもあってか、「そう」とだけ。

とりあえず文句さえ言われなければなんでもいいと思っていたので、あっさり会話が終わって嬉しかった。
そして何より、就職するということは、もう経済的にも親を一切頼らなくていい。これが何よりも私の心を解放させた。

就職でさらに離れてしまえばこっちのもん。
仕事があるので帰省できる日数も減り、相変わらず正月などは帰っていたものの、ほんの数日しか滞在しないので、親も荒ぶることなく落ち着いたままで終えられていた。

物理的に距離を置いて、年に数回しか会わないからお互い気が立つこともなく、これでようやく落ち着いた人生を過ごせる。
別に縁を切るなんてしなくたって生きていけるじゃないか………。

私に結婚の話が出るまではそう思っていた。

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