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残されたあなたへ

皆様こんばんは

今日私の好きな歌手である、

シンガーソングライターのさユりさんが亡くなったということを知りました。

今この記事を読んでいる人の中にも、今日、大切な人が亡くなってしまった、

ずっと忘れられない人がいる、色んな人が読んでいるのではないかと思います。

私はさユりさんの記事を読んでまず、

なんで置いていっちゃったの

と思いました。

言葉では相手を攻めたような言い方ですが、一番しんどいのは本人様であり、この世の病気にかかる原理に怒っていたのか、存在しない誰かに投げかけたのだと思います。

また、一昨年、私は祖母を亡くしました。

立ち会ったときにはすでに脳死していました。

私はどちらも突然のことで涙さえも感情さえもでてくる暇がありませんでした。

いざ、現実で起こってしまうと身動きが取れません。

祖母を亡くした際、
言葉にできなくてつっかえて
笑いながら無理に話す両親をみて、

言葉を話したら泣いちゃうから、無理に取り繕ってるのがわかりました。


私の父はお婆ちゃんと電話しているときは自然に話して、励ましていましたが、電話が終わった途端に泣き出しました。

その状況を見てなかなか湧いてこなかった死ぬという現実が無理にでも思いやられました。

もし、あなたが大事な人を亡くしたなら、
また私と違う形で悲しみが押し寄せているのでしょう

もう1ピースなくなったパズルのように、
完成できずに取り残されたパズルはきっと、欠けた可哀想なパズルと思ってしまうでしょう。

それでも現実はしんどくて、
その1ピースを完全に埋めてくれる人は現れません。
まったく同じ形のピースはありません。
変わらない現実です。
でもそれでも、

客観的に見て他の考え方で、
いびつなパズルでも綺麗だと思える方法を探してください。
探している間は長くて長くて綺麗だなんて言えない時間が進むけれど、
どうか、
どうか、乗り越えてほしい

そして乗り越えたときが
人間の良さである、他の生き物では感じ取れない
気持ちという感情の意味が現れるのだと思います。
感情があるから、命の尊さがわかって、

当たり前の日常などないのだという、
今の大切さを知らされるのでしょう。
なくなった人との大切な時間を思い出すことができるでしょう。

どうか、もうパズルの一部がなくならないでほしい
欠けた部分から自分自身が壊れないでほしい。

本の第一章が終わったように、
第二章目でのスタートを陰ながら応援しています

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