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雑記 『カネコアヤノの本音感』
私は、カネコアヤノの歌い方が好きだ。
彼女の歌い方には嘘がない。
特に、このライブ2曲目「やさしい生活」6:25からの
「もう少しだけ大丈夫になったら良いとは毎日毎日思っているんだ本当は」
の2度目の「毎日!」の歌い方。
私は、ここで毎回キマる。
テンションの表現ってこういうことか、と”精神がエキスパンド”する。
表現に安易なエクスクラメーションマークをつけてテンションを表現したということではく、
魂があるところにテンションが乗っただけという感じがすごく良い。
つまり、テンションを上げるための「!」ではなく、
あとからついてきたテンションとしての「!」だと思った。
ゼロからライブのために出すテンションではなく、
先に気持ちがあるからテンションが上がっている感じ。
要は、ブチギレてる感じが凄くいい。
カネコアヤノは流れ作業としてのライブをこなしているのではなく、
この一回に本気なんだなと思わせるこの「一回性」に背筋が伸びる。
これが、彼女のライブに、
「昇華活動が現在進行形で行われている」という実感からくる
本当の意味での「ライブ」感を纏わせている。
クリーンすぎるセットや映像のルックが彼女のテンションに追いついていないのもこのライブ感をブーストさせているように感じる。
この強度で生活にやりきれないことがないと
(またはあったことがないと)出てこない凄みがある。
その憤りを表現に昇華しないと、とてもじゃないけどやりきれない生活が見える。
作家 田口ランディが「欠落は才能である」
と作中で述べていたが、その意味が1秒でわかる表現であると思った。
これはテンションの例であったが、
表現の凄みは、
作者の本音から来るエネルギーの強度により決まってくる部分があり、
それはテクニックではどうすることもできないものだと思った。
ものの1秒で感動を作って見せた彼女に、私はまんまとしてやられたのである。