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三島由紀夫『不道徳教育講座』に学ぶ本当のモテ方

晩秋の一日、三島由紀夫の『不道徳教育講座』を手に取り、その逆説的な題名に目を奪われた。「不道徳」とうたいながらも、実は読者の道徳観を揺さぶり、深い思索を促す仕掛けが随所に凝らされているのである。

特に印象に残ったのは「モテるとは何ぞ」という短編である。三島によれば、世間でいう「モテる」とは、ただ周囲からチヤホヤされるだけに過ぎない。
多くの人が少しの称賛で舞い上がりがちだが、三島はそれを「一体それが何だ」と一蹴する。
チヤホヤとは、さながら「ウナギ屋の前でウナギの焼けた匂いだけを嗅がされているようなもの」あり、そこには実質的な満足感が欠けていると指摘する。

さらに三島は、男女における「チヤホヤ」の受け取り方や「使い方」の違いにも触れている。
女性にとってのチヤホヤは、美しさや肉体のみならず、男性心理を巧みに操る手段としても機能する。
反対に、男性にとってのチヤホヤは、実利的な女性には響かず、ただの自己満足に終わることが多いのだという。ここに、三島の冷徹な視点が際立っている。

彼の洞察はさらに踏み込み、「モテた」と執着する男性の心理にも及ぶ。多くの男性が劣等感や自信のなさを抱え、「モテた」という感覚がないと恋愛に踏み出せない。
こうした男性は、その感覚を得た途端、孤独や寂しさから逃れるために相手を選ばずに動き出す。しかし、それは単なる「仮面」であり、自己の弱さを隠す手段に過ぎないという。男性心理に対するこの冷徹な分析には、共感する部分が多いのではないか。

私もまた、女性として、こうした男性心理を完全に理解するのは難しい。しかし、「モテた」と豪語する男性に出会うたび、それが案外虚勢ではないかと感じることがある。もっとも、女性としては「仮面」で十分であり、その虚勢を深追いして確認することも少ない。
だが、もしも女性が「それはあなたの仮面でしょう」と指摘したならば、男性は劣等感を刺激されたと考えるのではなく、むしろ興味を持たれている証拠だと受け取るべきであろう。興味があるからこそ、相手の困惑した表情を見てみたいもので、多少弱気にさせてみたいなどと思うものである。

本書を読み進めるうちに、「実体のあるモテ方」とは何か、という疑問が浮かび上がってきた。三島は、旅先で百歳の老人に恋心を持たれた知人女性の話や、自らの体験を例に挙げている。その中でも特に印象的だったのは、次の記述である。

「それはたしかにモテたことだと思われるが、そのモテ方には、言葉も微笑もありませんでした。」と三島の体験談は語られる。三人の婦人との会話中、美しいが気難しい一人の婦人が、三島に意地悪な態度を見せていた。二人が席を外した瞬間、その婦人は突然、赤い爪を三島の手の甲に立てたという。

この奇妙な行為には、深い心理が隠されている。通常、好意は優しさや微笑み、称賛の言葉で表現されるものだが、彼女は冷たさと痛みで、表面的な「チヤホヤ」とは異なる方法で三島の関心を引こうとしたのである。ここにこそ、三島が示す「実体のあるモテ方」の本質があるのではないか。

彼女は三島をただの有名人ではなく、「モテ」に慣れ切った存在として捉え、ありきたりな美しさや微笑では彼の記憶に残らないと見抜いた。そして、爪を立てるという大胆な行動で「痛み」を与え、その瞬間を印象深く刻もうとしたのである。

こうして考えると、三島が言う「実体のあるモテ方」とは、相手が自分に対してどれだけ独自の考えを巡らし、意識的に行動するかにかかっているのだと理解できる。

もっとも、誰かに爪を立てられる勇気があるかと問われれば、私はウナギ屋の前で香りだけを嗅いでいる方が安心かもしれない。

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