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【小説】 途中から見たドラマ


 一、
 彼は左手でリモコンを手にとってテレビを点けた。利き手である右手にはコーヒーがたっぷりはいったマグカップを持ったままだったので、リモコンの操作がままならない。夜の十一時を過ぎていて、テレビからはドラマらしき映像が流れてくる。もはや物語は半ば近くまできてるな、と思いながら彼はコーヒーを口に含んだ。
 ドラマの中では、なんのことかわからないセリフが飛び交っている。当たり前なんだけど、こっちの気持ちにおかまいなく、笑ったり驚いたり、突然走り出すものまでいる。
 箪笥にしまわれていた一見なんの変哲もない小箱を見て青ざめたりしているのを見ながら、彼はそのままぼんやりテレビの前に立ち続ける。
 ここのところずっと落ち込んでいた彼は、真剣に物語を追いかける気になれなかったから、こんなふうに腑に落ちないままでいるほうがいいんだと思う。夜道を歩きながら、明かりのついた家々の窓を見ているみたいだ。
 とはいえ、しばらく物語を見ていると少しずつ細部がつながってきた。なるほど、人々があの箱を見て驚いていたのはそういうことか。それでも肝心なところが抜けたままで、心もとない。明かりのついた家の窓が開いて、中から人が彼を見ているのに声をかけられない、そんな感じだ。
 テレビにリモコンをかざすと、彼は物語を終わらせた。
 
二、
 主人公が行方知れずになったせいで、物語は中途半端な終わり方をした。どこに行ったのかと作者は悩んでいるが、理由がわからない。
 いつの間にか一人称が三人称に書き換わっていたし、原稿にはコーヒーの染みがついてた。もしかすると、主人公はこの話に嫌気がさして、出ていってしまったのかもしれない。
 そんなことを考えながら作者が夜道を歩いていると、主人公によく似た男性がいた。主人公が具現化して物語から外に出たのかと思うほどそっくりだ。
 男性がなぜか、パジャマ姿で左手にリモコン右手にマグカップを持ってどこぞの家の前に立っているのを見て、作者は主人公をコーヒー中毒にしたことを思い出した。寝る前にすらコーヒーを飲まずにいられない主人公だったが、それはあくまで自分の頭の中でつくったこと、物語の中には書いていない。パジャマに着替えさせたこともなければ、眠らせたこともないんじゃないか?もちろん夜は寝ているはずだが。
 男性は家を見ているばかりで一向に動こうとしないし、その家も、ドアは開いているのに中から誰も出てくる様子もない。庭はきれいに雑草が刈られているし門灯もついているから、廃屋とか幽霊屋敷ではないだろう。
 それにしても、あのパジャマの柄はどうだ。どこがどうおかしいとは指摘できない変な柄だ。主人公のために、誰か代わりに新しいパジャマの柄を描いてあげてくれないか?
 そう、もう「書いて」じゃない。「描いて」だ。自分の出る幕は終わった。
 気づくと、作者はそこから逃げ出していた。主人公のことを見捨てて。あるいは見捨てられて。

三、
 さいきん都内で絵描きが誘拐される事件が多発しています。犯人は小説を書いている人間のもよう。絵が描けたら正解の文章がかけると思い込んだ作家が、絵描きを盗んでいるとのことですが、正解の文章がなんなのかは不明です。

四、
「先日お送りした資料を見ていただけましたでしょうか」
 便箋にそう書いたところで、奥田牧子はペンを置き、手紙を読み直してみる。
「見」という漢字に形がおかしい。
 中の二本の線は省略され、ただの丸の下にヒゲのようなものが出ている。感じというよりアルファベットのQに近い。前後の言葉があるからわかるけれども、これだけ書かれたらなんの文字かわからない。

 全体的に、まわりくどい文体になっているのも鬱陶しかった。自分はどちらかというと文字は丁寧、内容は簡潔をモットーにしてきたのに、もしかすると、手紙の相手の漢字や文体がうつってしまったのでは?
 手紙の相手は全体的に文字がだらんとしていて、話もまどろっこしい人だ。会ったこともなければ会話をしたこともなく、あくまで仕事の手紙だけでのお付き合いなのに、こんなことになって申し訳ないと牧子はうなだれる。

 それから気がつくと、スーパーで好きでもないキウイを買っている。もじゃもじゃしたやつの皮を剥いて食べると、すごくすっぱい。たぶんこれも、手紙の人の好みがうつったのだ。
 手紙の人はミニトマトよりでかいトマトが好物で、ドラマよりも地図をよく見ている。おかげで牧子は、ずっと見ていたドラマの最終回を見逃してしまう。
 たんねんに手紙を読み返してみたけれども、それが相手の本来の文字なのか、牧子の文字に影響されたものなのかは最早わからなかった。自分の文字が思い出せないからだ。

 でかいトマトを刻んで潰してトマトソースにした夜、牧子は夢を見た。誰かが机にむかって、物語のようなものを書いている。文字を見て、手紙の人だと確信したが後ろ姿しか見えない。顔はわからない。声をかけようかと思ったところで目が覚める。

五、
 犯人は供述する。

 眠くなる直前にいつも何かが起こるんですよ。
 いや、何かはわかりませんよ。気がついたら寝てますからね。正しくは気がついたら起きているですか?ははは。寝てたらわかんないですからね。起きてみて、初めて寝てたことに気がつくって変ですよね。寝てることには気がつけないのに、起きたらそれがわかるって。
 わかりましたよ、事件のことを話せばいんでしょう。
 誰かが俺の幽霊を盗んでいるんです。ええ、幽霊です。夢の中にだけ出てくるんですけど、それを盗むやつがいるんです。ほんとはそれ、俺が見るはずだったのに。
 見てないのにわかるのかって?
 わかりますよ。夢って覚えてなくても、刻まれてるからわかるんですよ。
 俺とは一ミリも関係のない人間が、どこにいるかも女か男かもわからんそいつが、俺の幽霊を盗みに夜な夜なやってくる。だから俺も盗みにいったんですよ。ええ、絵です。絵描きを盗みました。それで俺の幽霊が描けるんです。いや、書けるだな。え、刑事さんわかんなかったの、今俺が言ったこと。描けるじゃない、書けるって。

 六、
 最近私は、誰かの五分間になっていることがある。
 はじめのうちは、ただの気のせいだと思っていた。たとえば、あらすじのわからないドラマをぼんやり見ていたときは、疲れているんだと思ってテレビを消したし、いつもと違う帰り道を歩いていたときも考え事をしていたせいだと自分を納得させた。

 けれど先日、電話を切ったあとで、メモ帳に見たことのない男の顔が描いてあるのを発見したときはさすがにおかしいと思った。だってその顔は、輪郭と目は立体的に描けているのに、鼻と口はただのくの字と一本棒というちぐはぐさだったのだ。通話時間を調べると、ちょうど七分だった。きっと目と鼻までが「誰か」の仕事で、そのあとは私が無意識に鼻と口を描いたのだろう。まあ、記憶にないが。

 たった五分と言っても、一日のうちでその五分がいつ現れるかは予見できないし、いつかとんでもないことをやらかすのではと不安にならないでもないが、実際にはベッドの上に洋服を散らかしたり、買い物かごに駄菓子をひとつふたつ放り込む程度だ。
 私はそいつを五分間人間、と呼んでいる。
 
 今日、五分間人間は一日中一度も現れなかった。私は私をしつこく観察していたけれども、いつも通りの私だった。明日も明後日も、やつは現れないんだろうか?それは喜ばしいことなのか。それとも、いつの間にか私は私でなくなっていることに気づけないだけなのか?

 それから私は、コーヒーを淹れてカップに注ぎ、右手でリモコンを持つとテレビにかざした。どうか、途中からはじまるドラマがありますようにと願って。

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