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【小説】ハッピーアイスクリーム・④夢の男と記憶の男

ハッピーアイスクリーム ④
同時に何かを言ったときの合言葉ハッピーアイスクリームを探し求める高校生葛飾、その周りではこっくりさんにまつわる記憶が呼び覚まされ、夢にたいして大層な自信を持つ奇妙な女の話が湧き上がったりしていた。

一方、葛飾は不吉なニュースを見た。


 やってしまった。
 カーテンの隙間に、矢のような光が見える。朝だ。昨日は結局まりもで全然書けなくて、コンビニでビールと明太子と春雨スープを買って帰った。一人の部屋でビールを飲みながら、残り少ない日数で雑に仕上げるくらいならこの原稿は次に回すという手もあるんだよな、とこの半月ほど繰り返したことを性懲りもなく唱えているうちに、眠ってしまった。
 残りの十三日を、仕事意外すべてこの原稿に費やせば間に合うのはわかっている。それはもう、今までの経験でわかっているのだ。おそらくは残り十日あたりで仕上がる。そしたら、最後に頭から原稿を読む。これがきつい。自分の文なのに完全に他人の頭で読まなければいけない。グニャグニャに溶けた脳を急速冷凍し、もう一度かためるみたいな感じだと、いつも思う。最後の直しが終わったら、プリントして原稿の左肩に穴を開けて、紐を通して郵便局に持っていく。
 
 いまはまだその段階じゃないが、いつかは家に帰る前に電車から下りて雨の中を歩くみたいに、そこには必ず行かなきゃいけないのだ。それなのに、またスマホを開いて十四日後などと検索してしまう。
 そんなことをしても、十四日後の何かに追い詰められている人たちを見つけられるわけもなく、かわりに『28日後』というウイルスかなんかに感染した人間が周囲の人を噛み殺していくホラー映画の予告が出てきた。ゾンビが目玉に指を入れているのを見てすぐに閉じたが、ホラー系のサムネイルがずらりとおすすめに並んでしまい、シバタはそのなかに見覚えのある顔を見つけた。学生のときの日雇いバイトで一日だけ一緒になった女の子だ。見たらまた長引くと思うのに、吸い込まれるように動画を再生していた。

 夕闇の道を、紺色のスーツを着た女が暗い表情で歩いている。
 反対側から人波をかき分けるように男が近づいてくる。顔ははっきり見えない。男は落着きなく四方を見渡したり立ちどまったり、かと思うと走りだして通行人にぶつかったりする。
 女は歩きながらそれを見ている。互いに動いているのだからどこかですれ違うはずなのに、いつまで経っても二人の距離は変わらない。
 やがて場面が変わり、女は会議室のような場所で丸型テーブルの入り口に近い席に座っている。女はさっきと同じ服装だが表情はにこやかだ。何か話し合いをしていているところに、さきほどの落ち着きのない男が入ってくる。他にも数人の男女がいるのだが、男は室内をかけめぐったり、テーブルのうえの書類を持ち上げて床にたたきつけたりしている。皆が部屋から逃げ出すが、彼女は座ったまま笑いながら男を見ている。
 喫茶店、電車、美術館とどこにも紺色の彼女と焦って動き回る男が現れ、人々は逃げまどうのに彼女だけが笑っているというパターンを繰り返して動画は終わった。

 最後にテロップが出て、やはり紺色の彼女は一緒にバイトをした藤田さんだとわかった。
 一日限りの本屋の棚卸しのバイトで、シバタと藤田さんは二人一組で美術書と写真集の棚に配置された。本は重たくデカかった。何度やっても数字があわなかった。ようやく終わって店を出ると、ほかのバイトはほとんどいなくなっていた。あまりに腹が減っていたので、誘い合って牛丼を食べに行ったら終電をのがした。
 藤田さんの家は、本屋から二駅先で歩いて帰れない距離でもなかったから、そこまで一緒に歩いて自分はそこらの公園で朝まで過ごそうと思った。そう言うと、彼女は申し訳無さそうに首を振った。
「ほんとうは泊めてあげたいんだけど、私、人がいると悪夢を見て叫ぶことがあるから」
「悪夢?」
「うん。友達とかなら大丈夫なんだけど、慣れてない人といると、ね」
「ああ」
 静かな夜に、二人の足音と低音で交わされる声が染み込んでいく。通りがかった家の門灯がふいに点灯して、シバタはどきりとした。
「シバタくんさ、夢の中身って、覚えてる?」
「さあ、覚えてるような、ないような…」
「夢を細部までは覚えられないのは、脳の記憶カイロが眠っている時はオフになっているからなんだよ」
「そうなんだ」
 だけどね、と言って藤田さんは立ち止まった。
「私は覚えてる。目が覚めたとき、直前まで見ていた夢を初めから終わりまで覚えてる。駅から家までの道を、何も考えずに歩くことができるみたいに」
 そう言うと、また歩き出す。
「じゃあ、今まで見た夢を全部覚えてるってこと?」
「まさか。思い出したらそのあとはすぐ忘れちゃうよ。起きてしばらくは覚えてるってこと」
 それ、あんまりほかの人と変わんないような気がするけど。彼女にとっては大事なことなのだろうと思ったシバタは、黙って頷いた。
「ただひとつだけ忘れない夢があるんだ。繰り返して見るから忘れたくても忘れられない」
 正直、こんな夜更けの道で聞きたくはなかったけれど、話が尽きて無言になるのはもっと怖いような気がした。藤田さんは前を向いて話しだした。

「場所とか設定は毎回違うんだけど、同じ男の人が出てくるの。その人は、なぜかいつも焦ってる。椅子に座ってそわそわしたり、誰かを待っているみたいに時計を何度も確認したり。私はその姿を横で見ているんだけど、男の人が焦れば焦るほどのんびりするっていうか、列車の進行方向と反対を向いた席に座って、遠ざかっていく景色を見ているみたいな感じになる。でも最後には男の人が急に落ち着き払って、私のほうに近づいてきて急に頭から氷水をかけられたみたいに怖くなって、逃げようとするんだけど、体がかたまって動けなくて、男の人が目の前に迫ってきて、ああもうだめだと思うのね。でも、そこから先のことがどうしても思い出せなくって」
 あれ?さっきは帰り道みたいに思い出せるって言っなかったか?シバタが納得いかないというふうに首を傾げると、藤田さんは怒ったような顔で見返してきた。
「男が近づいてきたところまでは覚えてるんだよね」
「そうだよ」
「そのあと夢を見ないで寝てたから、忘れちゃったとか?」
「それは違う。私は夢を最初から終わりまで正確に覚えてるんだよ。映画を見て、エンドロールが出たのにどこで終わったのかわかんなかったって言う人はいないでしょ?」
「夢にエンドロールは出ないよ」
「それは夢を覚えられない人の感覚だから」
 シバタは一番最近見た夢を思い出そうとした。でも、覚えているのは子供のころに見たおばけの夢だった。
「だけど、その夢の終わりは覚えてないんだろ」
 その質問には藤田さんは答えずに、
「シバタくん、似てるんだよね。夢の中の焦ってる男の人に」と言った。シバタは、なるほど、それを言いたくてわざわざ夢にまつわる長い話をしたんだと思った。
「で、そいつはどんな男なの?」
「普通の若い人」
「顔とか背格好は?」
「背はそんなに高くない。髪はぼさぼさで眉毛がちょっと濃いかんじだった」
 なんだか雑な印象だと思う。近くまで接近したんならもう少し細かな特徴を言えるはずだ。
「俺とその男が似てるって、いつ思ったの?」
「さっき、夢のことを話してたときだけど」
「今日って、バイト二人で組まされたよね」
「それが何?」
「店から一緒に歩いて牛丼食べて、ずっと二人で歩いてるわけだけど」
「だからそれがなに?」
「こんだけ一緒にいて、それまで似てるって思わなかった?」
「それはまあ、夢の話をするまで忘れてたから…」
「藤田さん、ほんとはそいつの顔を覚えていないんじゃない?だから目の前にいる顔に、あてはめようとしているんだよ」
「そうかもね」
「あまり考えないほうがいいと思うよ。夢には意味なんかない」
 そうかもね、と藤田さんは同じ言葉を繰返した。そのあと二人は夢の話はせず、あまり怖くないホラーが好きだと言うシバタに、映像関係の専門学校に通っていた藤田さんがお勧めの映画をいくつか教えてくれたあたりで家についた。
 
 動画は夢の話によく似ていたが、出てきた男は背格好も顔立ちもシバタとはまるで似ていなかった。彼女はいまだにあの夢を見ているのか、たんに忘れがたい話としてショートフィルムのネタにしたのか。
 シバタはプリントアウトした原稿を広げた。
 夢の男はなぜ焦っていたのか。
 記憶の欠落した部分はどうなったのか。
 なぜその夢だけ完全に記憶できなかったのか。
 答えの出ない疑問に頭を占領されたようで、シバタはソファに寝転ぶと、タイマーを一時間にセットした。目が覚めてもまた、当然のことのように書ける気がしないけれども。


 いま葛飾は机に突っ伏して寝ている。といっても、本当に寝ているわけではなくて、ほんの数分休んでいるだけだが。
 階下には親戚のじじいとばばあとその息子が来ている。おそらくは自分の受験がどうのと根掘り葉掘り聞いているのだ。挨拶だけして二階の自室に上ってきたが、リビングのドアを開けているらしく、時折自分の名前がじじいのだみ声で聞こえてくる。あのじじいはなぜ、自分や自分の息子以外の人間に関心があるのだろうか。こんにちはと、さようならと、はいといいえくらいの言葉しか聞いたことのない自分なんかの行く末を。それとも優秀な息子との引き合いにするための、恰好の的にされているのだろうか。
 
 階段を誰かが上がってくる音がしたけど、誰も部屋をノックしてこない。だから母親ではないと思うし、じじいかばばあならノックもせずにいきなりドアを開ける気がする。
 顔を上げて耳をすましてみるが、足音の主は階下で立ち止まっているようだ。
 さきほどの挨拶の場面には、じじいとばばあと、いつも人を見下したような顔で見るいとこがいたと思っていたが、考えてみるとあいつは正月でもないのに、親戚の家に親とくるタイプではなかった。同じくらいの年の男がいたのは確かだが、挨拶はされなかった。
 自分の部屋がわからず立ちつくしているのか。とりあえず各部屋をノックすればいいではないかと思いながら、葛飾は立ち上がった。ドアを開けると、目の前に灰色のパーカーを着た男が立っていた。
 数分前にリビングで見た男はジャケットを着ていたように思うのだが、それは隣に立っていたじじいの服だったかもしれない。
「何か用ですか」
 そう声をかけると、男は急に向きを変え、そのまま階段を降りて行ってしまう。
「え。ちょっと」
 あわてて階段下をのぞきこむと、パーカー男はいかにも運動神経が鈍そうに、手すりにすがりつくようにして駆け下りて行く。
 いったい何をしに来たのだ。葛飾は誰もいない階段をじっと見ていたが、急にばからしくなって自分の部屋のドアを開けようとドアノブに手を伸ばした瞬間、階下から甲高い叫び声が聞こえてきた。
 葛飾は急いで階段を駆け下りた。廊下には誰もいなかった。声はまだリビングのあたりから響いている。
 玄関横のトイレと風呂場に誰もいないことを確めてから、リビングのガラス扉ごしにのぞくと、右手を高く掲げているパーカー男の姿があった。その手に何か光るものが握られているようだが、それがなんなのかはわからない。部屋の隅にでもいるのか、母親がどこにいるのかも確認できない。
 パーカー男は彫像のように右手を上げたまま動く気配がないのに、叫び声のほうは録音された音声のように同じ長さ、同じトーンで続いている。
 まるで、音のある絵画を見ているみたいだった。
 緊迫した場面に似つかわず、葛飾は自分の身の内がだんだんと静まって行くのを感じていた。そのまま玄関へ行くと、脱ぎっぱなしのコンバースに足を入れ、鍵を回しドアを開けた。
 真夏の日差しがまぶたを射す。もうずっと長いこと光に当たっていなかったもんな、と思った瞬間目が覚めた。

ハッピーアイスクリーム ⑤に続く

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