【小説】ハッピーアイスクリーム・⑩ 最終回
動画 タイトル 怪談その後
こんにちはー。
いや、この前は怖かったですよねえ。Mさんはともかくとして、いちばん怖かったのはゲストさんでしたよ。
話の途中で急に黙ったと思ったら、何も言わずに帰っちゃったんですから。トイレかなあと思って待っていたんですけど、いつまで経っても戻ってこないから見に行ったら本当に帰っちゃってたんですよね。
あとで本人から連絡がきまして、あの話、嘘が混じってたとか言うんですよ。
別にいいのにね。
嘘が大半ですから、実話怪談なんて。
どこが本当だったのって聞いたら、女子高生が入ってきたところだけだそうです。Mさんっていう人はいなかったらしいんです。外で無口になる社員さんというのは、彼女自身のことでした。外じゃなくて中なんですけど、外に出ると話せるんですって。
まいりますよね。
今日は、僕が知ってる話をしようかと思います。
ある男の話です。彼は、目が覚めると夢を見てたって感覚はあるのに、夢の中身を一ミリも思い出せないそうなんです。普通は、ちょっとくらいは覚えてるもんでしょ?でも、ほんとになんも思い出せないと。
まあそれはいいんですけど、目覚めたときになんか妙な感じがするそうなんです。心ここにあらず?いや、体ここにあらず?だそうで、自分が空っぽっちゅうかね、自分を離れてどっかにさまよっていたような感じがあるんだとか。
それで、その男はずーっと考えて、あるとき自分は他人の夢に出ちゃうんじゃないかって思い始めた。このままそんなことしてたら、いつか自分は戻れなくなるっつうか、他人の夢に置き去りになるんじゃないかと思ったら怖くて仕方ない。目が覚めるとすごく喉が渇いていて、枕もとには飲みかけの水があるんだけど、氷がすっかりとけて生ぬるくなっちゃってる。とても飲めたもんじゃない。
そうですよ、これ、俺の話ですよ。
ぬるい水なんか、飲めたもんじゃない。砂漠だろうとなんだろうと、そんなもん飲むくらいなら。
飲むくらいなら?
とにかくどうしても飲めないんだよ、俺は、ぬるい水が…。
★
その日の午後には、クラス中にハッピーアイスクリームが流行り出した。
「あれはあたしじゃないよ」と葛飾は片田さんをつかまえて言った。
「誰かが盗んだんだ」
「校庭でだれかが叫んでたんだから、そのときにはもう流行ってたってことじゃないの」
「あれは夢だってば」
「知らないことは夢にも見られないって葛飾が言ったんでしょ」
「だけど結局誰にもハッピーアイスクリームって言えなかったし、そもそも誰とも同じ言葉が言えなかったし。少なくともあたしが流行らせたんじゃないよ」
「芽を蒔いたんじゃないの」
「芽?なにそれ?」
「いろんな人に話しかけてるうちに、ハッピーアイスクリームの芽を蒔いたんだよ。その言葉は大昔からあるわけでしょ。それって人間の間に、定期的に現れるものなんだよ、多分、世界中にあるんだよ」
「それならあたし、関係ないじゃん」
「いや、あんたがその周期の火付け役になったってことだよ。どうせ、同じようなことばっか考えてんだよ、人間なんて」
そのあともハッピーアイスクリームはあちこちで流行したようだが、葛飾も現場に居合わせたことは一度もなかった。
周りの女子たちは数日前の自分たちみたいに、ハッピーアイスクリームってなによとか、それアイスの名前なのとか、どっちがおごるのだとか言っていたが、葛飾はもうどうでもよくなっていた。
雨が止むのを待っているうちに、教室には誰もいなくなった。
雨だとか、やみそうにないとか、だるいとか、眠いとか、腹が減ったとか、葛飾は今、互いの頭のなかを同じ言葉がしょうこりもなく繰り返されているのだろうなと思った。もしも今、同時に何かを言ったなら、ハッピーアイスクリームは片田さんに譲ろう。
誰も居ない。でも。
どうせ自分の頭なんか空っぽに限りなく近いのだし、それならいっそのこと完璧に空っぽになってしまったほうがいい。呪われるのはあまり嬉しくないが、多分それは誰かが誰かをとらまえようとして考えたタワゴトだ。百メートルダッシュの話みたいに。何をやったって、みんな最後は逃げて行くんだ。
もうかえるかー、と誰かが言った。
誰かが、葛飾の肩をぽん、とたたいた。
了
参考文献
『しぐさの民俗学―呪術的世界と心性』常光徹著 ミネルヴァ書房