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怪談ウエイトレス その3
3,幽霊が遠い
「俺、まったく霊感はないんですけど」
と若い彼は言う。これから怖い話をやろうってやつのまるで枕詞だ、と思いながら権藤は彼に気づかれないように視線だけで腕時計を見た。
つぎのバスまで、あと二時間。
古い型の機械を修理して欲しいと言われて顧客のところに出向いたが、二時間ねばって直すことはできなかった。部品をそろえてまた来ますと頭を下げて出てくると、バスは行ってしまったあとだ。送ってくれるというのを、なんとなく気詰まりで断ってしまったが、格好つけないで乗せてもらえばよかった。
いつまでたっても日が暮れないから、夏の午後は苦手だ。そのくせ明るい日差しの中に、夜はきっちりと居座っている。うるさいくらいに聞こえていた鳥の声や、子どもたちの歓声が消えて景色が宵闇に沈んでいる。
さっきから人も車も一台も通らない。いくら二時間に一本しかバスが来ないような田舎町だからって…。
「俺、そういうのを見たことも触ったこともないんですけど」
若い彼の言葉に、権藤はうなずいた。
ベンチがあってよかった。この懇切丁寧な国でなぜかバス停だけは唯一そっけない。その点ここは、簡素とはいえ東屋に木のベンチがあるだけめぐまれている。権藤が来てしばらくすると、この若い彼と一緒になった。一人旅をしているというが、荷物は小さな鞄ひとつだ。
話はあまりうまくなかった。順序が入れ替わったり、余計なところに手をいれたりしてわけがわからなくなる。それでも、時間つぶしにはちょうどいい。彼の声はより合わせた糸みたいに弱々しくて、心地が良かった。
怪談話で妙なのは、幽霊やもののけではなく出てくる人間だ。これはKさんが体験した話。Sさんの友人、Aさんが。その女性、仮にまゆみさん呼びますが…。アルファベットだったり、仮名だったり、幽霊よりもそっちが存在するのかと思ってしまう。
適当に合いの手を入れながら、権藤は中学のころのことを思い出していた。クラスの友達の友達が、幽霊を見たという。忘れ物をとりに夜の教室に行ったら、ひと月前に病気で死んだはずの担任が黒板の前に立って一人で授業をやっていたという。怖くなって飛び出すと、名前を呼びながら追いかけてきた。そのあとどうなったか知りたかった。
学校が別だから、友達みんなで授業が終わったあと訪ねることになった。大きな声で騒ぎながら友達の友達の家まで歩いたが、相手は留守で話は聞けず、翌日もやはり会えなくて話は聞けずじまいに終わった。というより、聞けずにいるうちに怖くなったのかもしれない。
幽霊が遠くなる。そんな言葉が浮かぶ。
実体験はないのかと権藤が問うと、彼は首を横に振った。
「俺、金縛りも経験したことないんすよ」
「金縛り?体が動かなくなって、髪の長い女が乗っかって首をしめてくるとかいうやつか。あれは、筋肉を動かす部分の脳だけが寝ているせいで体を動かせなくなるんだ。呼吸も浅くなっているから、そんなリアルな夢を見る」
権藤がそう言ってやると、彼は残念そうに首を横に振った。
「自分は、夢も見ないんです」
「夢を見ない人間なんていないよ」
「俺の頭はどうなってんのかな」
「忘れているだけだろう。それより、さっきの話はネットかなんかで拾ったのかい?」
「まさか。それならもう少しうまく話せますよ。さっきのは全部同じところで集めた話なんです。幽霊を見た人たちがよくくるところがあって」
気楽な若者だと思っていたけれど、話し方がまずいと思っていたのは気づいていたのか。人たちということは百物語でもやったのかと尋ねると、カフェで聞いたという。カフェっていうより喫茶店すね、と彼は笑った。明るい日差しとケーキのあるところで幽霊話というのも変わっている。
「小さい店だけど、Y字の歩道橋から見えるんですよ」
店への道筋をやけに細かく教えるので、行けということなのかな、と思った。
「中二階にあるガラス張りの店なんです。女の人が一人で店番しているときだけ、そういう話をする客がくるんです。俺が初めて行ったときは、その人、カウンターに肘をついてぼんやりしてました。奥のテーブルに男と女がいて、ぼそぼそ小さな声で話してて、大学生くらいなのになんか変だと思いましたね。アイスコーヒーを頼んでガムシロを最後の一滴までめいっぱい入れてたら、お好きなだけどうぞって、ガムシロの盛り合わせをくれて、もう二つ入れました。ケーキを注文したら、パイ生地のうえにいろんな果物が乗ってる豪華だけど昔っぽい感じのケーキが出てきて、甘くて濃くてさくさくしてうまかったなあ。食べ終わったら例のひそひそカップルの女のほうが、『そういえば』って急にでかい声で話しだした。それが、俺が聞いた初めての幽霊話です」
そこまで言うと、いったん言葉を区切り、急にベンチから立ち上がった。
「これからその女の話を始めます」
その声は、もう女のものになっていた。
よく行くファミレスがあるんだよね。夕飯作るのが面倒なときとか休みの前とか、週一はその店で食べてた。曜日はまちまち。いつも端っこの四人がけテーブルに無理やり座って、ゲームの話を大声でしている六人組の男子がいた。時間は午後八時くらい。高校生だと思うけど、もしかしたら童顔の大学生かも。私はゲームに詳しくなかったから話の内容はわからない。でっかい声だなあって思いながらドリアを食べてた。
食べ終わったあと、いつもならイヤホンして動画とか見るんだけど、あ、私、食べてるときはイヤホンしないのね。食べるときは食べることに集中しないと駄目。その日は食べ終わっても疲れててぼうっとしてたら、六人の話が耳に入ってきて、頭が声でいっぱいになって何も考えなくていいからまあいいやって思ってた。大体は甲高い声の男が話をしてた。会話にほとんど参加しない子は、椅子から落ちそうになってるの。その子はにこにこしてたけど、たった六人でも派閥とかあるんだね。
いつの間にか話は、数日前に起きた殺人事件のことになってた。ある小さな村で、村人が殺される。殺された人はその数日前に東京に嫁いだ長女の出産祝いに行ってたとかで、姿がないのを誰も不思議に思わなかったから、遺体が発見された時はもう死後三日が過ぎてた。その夜、殺された人の隣人が殺されて、ひと月後に、三人が同時に殺される。全員顔見知りの村だからすぐに犯人はわかるだろうと思ったのに、物証が少ない上に目撃証言がばらばらで、容疑者が一人も浮かばなかった。でもこれ、家に帰ってからネットで検索してみたけど、まるでヒットしなかったんだよね。
三日後にまた店に行ったら、端に座っている男の子の黄色がかったオレンジ色のトレーナーに見覚えがあった。お気に入りなのかもしれないと思ったけど、ドリアを食べ終わると、また村人が殺される話なの。その話し方が、まるで初めてって感じで、話の内容も少し違ってて、今回は村人を殺した犯人は捕まったけど、証拠不十分で釈放されてる。その翌日に行ったらゲームの内容が違うし、村人は死なない。ドリアを食べて家に帰った。もうあの店には行かないことにした。
そこで彼はまたベンチに座った。まだ続きがあると思っていたので、権藤は思わず彼の横顔をじっと見てしまった。
「どうでしたか?」
「どうって言われても。どんな感想を持てばいいのかわからないな」
「俺が気になったのは、なぜドリアを食べていると、音が拾えないかってことです。毎回ドリアを食べるのも」
「それは、たんなる習慣じゃないかな」
「ハンバーグとかナポリタンとか食べればいいのに」
「きっと、ドリアが一番安いんだろう。外食がその女の唯一の贅沢なんだ」
若い彼は黙って、権藤を見ている。バスはまだだろうか。もう一度腕時計を見たい。
「権藤さんは、くらいですね」
「どういうこと…」
「くらいです。どこまでもくらい。だから何も見えない。音がすると何も食えないなんて変だし、ドリアを食べるのにはそれ相応のこだわりがあるって、考えないと駄目なのに」
「そうかい」
「あの二人は、俺に聞かせようとして話を作ったんだと思います。つぎの日にまた店に行ったら、今度は違う人が怖い話をしてました。マスターがいるときは駄目なんです。女の人ひとりじゃないと、誰も話をしない。話が始まると、なぜだか甘いものが食べたくなる。ガムシロップを三つも四つも」
「なぜ…」
彼が、じっと見ていた目をそらすと、
「バスが来ました」と言った。腕時計を見ると、確かに二時間が過ぎていたが、相変わらずバス停の前の通りには人一人、自転車一台通らない。
「遅れてるんじゃないか」
「いいえ、来ます」
目を細めると、青いラインの入った塊が短い橋を渡ってくるのが見えた。左に折れて、ゆっくり近づいてくる。ステップを踏み、一番後ろの長いシートに腰掛けたが、あとから乗った彼は、一番前の車輪の上の座席に腰掛けた。年のころがよくわからない女が一人、真ん中あたりに座っている。
くらいと言われたことに腹を立てたわけじゃない。たまたまバス停で一緒になっただけの間柄だ。
それより、一度も名乗らなかったのに、彼はどうやって自分の名前を知ったのだろう。さっき客と話していたのを見たのか。少しほうけたような話し方も、演技だったのかもしれない。こちらの反応次第では、もっと怖い話をしてやろうと思っていたが、相手がやけに理屈っぽいのであきらめたとか。
結局、一度もこちらを見ることもないままひとつ前のバス停で降りていった。駅からも遠いし、なにもないところだったが。東京に戻ると、家に帰る前にファミレスで夕食をとった。ドリアではなく和定食を食べて、翌日は出先で仕事が早く終わってそのまま直帰していいと言われたが、前日の疲れが残っていたのか、そのまま帰る気になれないくらい体が重い。
ふと、若い彼の言葉を思い出した。「どこまでもくらい。だから見えない」
あれは頭が堅いと言われたと思っていたが、それにしては変な言い方だ。性格が暗い?いや、暗くて見えないっていうのはなんだ。暗くて見えないところにいると言いたかったのか。避けるように一番前の席に座ったのは、突然、自分のことが怖くなったからなのかもしれない。
タクシーに乗ろうか迷っていると、目の前にY字の歩道橋があるのに気がついた。彼が話していたのとそっくりの道筋を辿っていくと、中二階の喫茶店が現れた。東京には、こんな店いくらだってあるだろう。なんでもいいから座りたい。
石段をのぼっていくと、ガラス張りの店の中に頬杖をついた女の姿が見えた。
怖い話ってうやつは、どうしていつもこうなんだ。入れ子のように人も時間も入り組んで、わかっていながらいつの間にか入れ子のなかに取り込まれている。
権藤は額の汗を拭うと、煤けたノブに手をかけた。
4,倒産しました に続く