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【わたしのジョブ・カード】1,一発勝負の就活

私は、1970年、大阪万博の年に大阪府茨木市で生まれました。
(母には、「あんたが生まれたから万博に行けなかった」と愚痴られましたが、そんなん知らんがな)

なんの不自由もなく、のほほんと育ちました。
ただ、小学校高学年では、まったく勉強についていけなくなりました。

わからないところがわからない。当時は「おちこぼれ」と言われていましたが、
もしかすると、学習障害があったのかもしれません。
小学校の担任には「無視」される始末。

中学、高校でも全く勉強は出来ず、成績はいつも下の方。
高校では、ひたすらアルバイト生活で小遣いを稼いでいました。

高校卒業で就職する実力もなく、
かといって、大学に進学するための学力もなく、
消去法で専門学校に進んだのでした。

時は、折しもバブル経済真っただ中。
野性的な「カン」だけは鋭く、いつまでもこんなおかしな好景気は続かないとも感じていました。
もし、何浪もして大学に進んでいたとしたら、卒業するときはバブル崩壊とともに訪れた失われた20年の入り口。就職氷河期時代での就活となるところでした。

選んだのは旅行を学ぶ専門学校。
子供の頃から鉄道が好きで、本当は鉄道関係の会社に進みたかったのですが、
どうやって鉄道関係の会社に進めばいいかもわからず、
まぁ、旅行だったら鉄道もなんとなく関係あるだろうからと言った理由でした。

そんな理由だから、本気で旅行業界に行こうとも思っておらず旅行業法や旅行業約款などを学んでもちっとも面白くなく、場所が大阪市内の繁華街に近いところでしたので、刺激も多くとにかく遊び呆けておりました。

世の中はバブル経済の絶頂。
このふざけた専門学校生は、就職活動を完全に舐めていました。
別にどうしても旅行業界に行こうとも思っていなかったので、いきたいところも特になく、全く就職活動をしていなかったのです。
それでも、なぜか進路指導室のF先生とは仲が良く、特に用もないのに進路指導室には通ったものでした。

そこで目にした安っぽいチラシがありました。
そこには、「来春、神戸横浜間に客船就航!アクア東海Do」と書かれていました。
なぜか気になりF先生に聞いてみたところ、
「ああ、それは親会社が焼肉屋で間違いなく潰れるからやめとけ!」と言われました。なるほど、そんなものかと思ったのですが、全く就職活動もしていなかった負目もあり、会社説明会だけ参加することにしたのです。

場所は、大阪梅田のビジネスホテル。
まるでパーティー会場のような華々しい会場でした。
いざ、説明会が始まるとスモークが焚かれ、社長が華やかに登場してきました。
話を聞くと、「昨年廃止された青函連絡船を買取、それを改装して神戸と横浜を結ぶ豪華客船を就航する。それに伴っての募集だが、正社員は東京大阪でそれぞれ10名ずつ、残りは契約社員とアルバイトで運営する。
就航までは、アカデミーという無料の講座を開き、選考試験と同時に進める。」
という、今から考えてもとてもユニークなものでした。

この社長という人、とにかく口がうまく人を惹きつける話し方にとても長けていました。何もしらない世間しらずの学生には、効果てきめん。私の心は鷲掴みにされました。すぐにその「アカデミー」に通い始めたのでした。

「アカデミー」に来ていた方々は約500名。その中で正社員に採用されるのは10名、契約社員が100名という内容でした。正社員は50倍というとんでもない狭き門。来られている方は、学生はほとんどおらず、ほとんどが現在仕事をされている方で、中には50代の方もいらっしゃいました。

アカデミーに参加しているうちに、何がなんでもこの会社で働いてみたいと思うようになりました。でも、普通の面接だけではこの難関は突破できないと考えていたのでした。そうしているうちに、アカデミーの授業の中でコミュニケーションの授業がありました。初めて会った人たちと6人ほどでグループになり、紹介するといったものでした。

他のグループが「〇〇さんです。この方は⬜︎⬜︎さんです。」といった紹介をしていました。それを見ていて面白くなかったのです。やがて、私たちのグループの番が来ました。そして、運良く私が紹介役に指名されたのです。
私は、一人一人エピソードを交えながら紹介していきました。たとえば、
「この方は阪神タイガースの〇〇選手と同じ苗字の〇〇さんです。」や「この方は歌手の⬜︎⬜︎さんと同じ名前の△△さんです。」といった具合です。
会場は大盛り上がりでした。

やがて、選考結果が届きました。
そこには「正社員で採用」と書かれていました。
人生で初めて、嬉しくて泣きました。

後日、専門学校のF先生に報告にあがりました。
喜んではくれましたが、複雑な表情を浮かべられていました。

卒業の単位を取得していたこともあり、それからはこの会社にのめり込むことになります。
船の就航が翌年の3/24、それまでに接遇などの研修を行わなくてはならず、1月からは船を改造している長崎県佐世保での研修がスタートするとのことでした。
私の心は、佐世保に飛んでいました。とにかく早く、研修を受けて働いてみたいと思うようになっていたのです。


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