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自分よりも優れた人たちのところへ。そして嘆く。
先日、高校生の身でありながら、大学の授業に参加した。
見渡せるほどの広い講堂で教授が一人淡々と話している授業を想像していた私は、講義室に着くと驚いた。
小学校の教室よりも狭く、15人ほどの少人数授業だったからだ。授業は、教授の講義で始まった。SDGsの女性の権利についての講義で、パキスタンに根強く残る女性差別や虐待について多く学べた。
教授の話が終わると、そのあとはグループワークが待っていた。
話し合いのテーマは「パキスタンでは、農家での過酷な女性の労働が問題になっている。その解決策を講義の内容をもとに話し合いなさい。」というものだった。
15人の大学生が4グループに分かれて、議論を行った。なんと、私もその中に入れてもらった。
議論は英語で行われた。言い忘れていたが、講義からすべて英語で行われていたのだ。というのもこの講義は、外国の留学生向けのものだったらしい。
私は議論をするほどの英語力は持ち合わせていなかった。意見を英語で述べることはできたのだが、皆の会話が早すぎて、聞き取れない。(´;ω;`)ウゥゥ
自分だけ会話に入れず、ずっと一人孤島に立たされている感じがして、非常に不甲斐なく感じた。その時感じた悔しさは現在のリスニング勉強のモチベーションになっている。
あと、みな賢い。自分の意見を臆さずズバッという。英語もペラペラだ。
私は圧倒されてしまった。自分も頑張らなければ。。。
勉強のやる気はどこから来るか。それは私が感じたような「悔しさ」や「衝撃」、「尊敬」からくるように感じる。
もちろん人によるだろうが、私は英語が喋れた時の明るい未来を考えるよりも、議論に参加できないくやしさを想像する方が、自分の怠惰な背中をたたかれる気がする。
そこにいた学生達の賢さも同様だ。彼らのことを知ることで、自分の不勉強や無知、能力のなさを痛感する。
決して楽ではない努力を続けるには、優れた人たちのもとに足を運んで、自分の至らなさに十分に打ちのめされるのが手っ取り早いなと学んだ。