「家族」について考えてみよう
中学校 内容項目(14)「家族愛、家庭生活の充実」
「おばあちゃんのキャラ弁」を使って考えてみる。
小路:ウラと上辺はこの話読んでどう思った?
上辺:あー。なんだろな。キャラ弁とかそういう文化死ねって思った。
小路:そこ!?
上辺:だってそうだろが。誰が得するんだよこれ。弁当用意する人、これめっちゃ早起きしねーとなんねーだろ! 作んのも泣きそうなくらい大変だろうし、それを食う子どもだって、「あの子のよりすごい。勝った」とか、「鼻がシャインマスカットとかすごい。正直負けた」とかいちいちリアクションしなきゃいけねーだろが。その上、「次はもっとすごいヤツ」って無限にエスカレートすんだろこのパターン! いいんだよ弁当は食えれば! 味に感謝して食え! 食い物で遊ぶんじゃありません!
小路:うわー。上辺がめっちゃしゃべる。
上辺:現代のやつらに五百年前の食生活体験させてええ……! 塩と味噌以外ねえんだぞ調味料! ほぼぜんぶの料理が塩味だからな! スイーツ扱いの食いモンすらしょっぺえんだぞちくしょう!
小路:あー。まあつまり、上辺はあれだね。この話で一番気になったのは、「食べ物でよけいな競い合いすんな」ってことだったわけだ。
上辺:うん。腹立つ。
小路:あー。まあそれもちょっとわかる。大事なことかもね。じゃあウラは? ウラはどう思った?
ウラ:たまごやきが食べとうなった。どんな味がしたのか気になってのう。
小路:あー。ウラっぽいね。ほんと、どんな味だったんだろね。
ウラ:小路はどう思ったのだ?
小路:うーん。ぼくはね、この話の赤坂さん(私)が、「お弁当をきれいに平らげ」るまでどんなことを考えてたのかが気になったな。
上辺:「うめーなこの弁当」とかじゃねえの? なあウラ。
ウラ:…………。ウラは、この話の中の童女(わらわめ)は、弁当を味わいながらいろいろ思い浮かべておったのではないかと思う。
小路:どんなことを?
ウラ:この童女は、祖母のたまごやきで母の料理の味を思い出したのじゃろう? 母はかつて、祖母からたまごやきの作り方を学んだということじゃ。
小路:うん。
ウラ:じゃから同じ味がしたのだと思う。童女の母は、きっといまの童女と同じくらいの歳のころ、祖母と台所に肩を並べていっしょにたまごやきを焼いたのじゃろう。ウラにはそういう絵が浮かんできた。この童女も、弁当を食べながら、そういう、子どもだったころの母と祖母のつながりのようなものを思い浮かべておったのではないかと思うた。
小路:なるほど。ウラはそんなことを考えたんだね。
ウラ:この童女は知らぬままにおったのだろうが、父や母にも父母がある。それに気づいたのではないかのう。その想いで頭が満たされておったから、「ひと粒も残したくなかった」のじゃと思う。このとき童女は、母と祖母とのつながりを味おうておったのかも知れぬのう。
小路:すごいねウラ。ぼくはそんなことまで考えなかったや。
上辺:うおお。こええ……。ウラが人間みたいなこと言ってる……。
ウラ:ウラは思うたことを言うただけじゃ。
上辺:どっちかって言うと小路の方がしょぼいじゃん。先生なのに。先生なのに!
小路:やめて。傷つくからそういうのはやめて。自覚もあるからやめて。
まとめ
小路:ウラや上辺がいた時代とは「家族」の形はちがうのかもしれないけど、自分を作っている一部が「家族」であるのはどの時代でも変わらないのかもね。
ウラ:「家族」とは不思議なものじゃな。この童女はどうか知らぬが、もしかすると祖母や祖父に一度も会うたことのない者もおろう。じゃが、こうして味が引き継がれておる。味でなくとも、自分の暮らしのそこかしこに、「自分のもととなった誰か」のつながりが残っておる。そういうものが、いまを生きる者の一部を形作っておるのじゃな。
【参考】「中学校学習指導要領解説 特別の教科道徳編」より
(14)家族愛,家庭生活の充実
父母,祖父母を敬愛し,家族の一員としての自覚をもって充実した家庭生活を築くこと。
(小学校)[家族愛,家庭生活の充実]
〔第1学年及び第2学年〕 父母,祖父母を敬愛し,進んで家の手伝いなどをして,家族の役に立つこと。
〔第3学年及び第4学年〕 父母,祖父母を敬愛し,家族みんなで協力し合って楽しい家庭をつくること。
〔第5学年及び第6学年〕 父母,祖父母を敬愛し,家族の幸せを求めて,進んで役に立つことをすること。