適応障害と向き合って-その1
はじまりは異動から
僕、高野サトシが適応障害になった具体的な経緯や、そんな適応障害とどのようにして向き合っていったのか、それをお伝えいたします。
はじまりは2023年4月、新しい部署への異動。
その前にいた部署には5年間在籍していました。
そもそも、適応障害を発症する前年の2022年、その頃から色々と思うところがあり、転職や独立を検討したり、妻とそのことについて話し合ったりしていました。
しかし、実際にはそのまま公務員を続けることになり、悶々とした気持ちを抱えたまま生活をしていました。
(2022年に何があったのか、このあたりのことはまた改めてお伝えすることになろうかと思います)
自分は一体、何をやっているんだろう
異動して、自分に割り振られた仕事をしているうち、ずっとこう思っていました。
自分に割り振られた仕事は未知のものも多く、約15年間の市役所生活の経験はほとんど活かせませんでした。
特に、前の部署で培った契約関係の知識は全く活かせず。
それなりに経験を積んできた自負もありましたが、今の部署で何の役にも立たないことがもどかしく、自分にはもっと得意なことがあるのに、自分がこの業務をやる意味があるのか……と、自問する日々が続きました。
さらに、僕が担当していた、月に一度開催される「とある会議」の事務局の仕事が僕を追い詰めていきました。
詳しくは、こちら↓『僕が適応障害になった理由』をご覧いただけたら嬉しいです。
文書の余白は上下左右で○ミリ…などの細かく決められた体裁、
前例踏襲主義、
決まった型どおりの仕事、
何度も繰り返される「太字にする/しない」「かぎ括弧をつける/つけない」といった細かい文書の修正、
などなど……
「こんなことして何の意味があるんだ」
「誰のための、何のための仕事なんだ」
「この仕事をして喜んでいるのは誰なんだ」
「誰の役に立つ仕事なんだ」
「こんなことやって、どうして給料をもらえるんだ?」
「もっとやりたいこと、なりたいものがあるのに、自分は一体、何をやっているんだろう」
自分に合わない業務に自分自身の個性が押し込められていく感覚を覚え、どんどん窮屈に、どんどん息苦しくなっていきました。
自分は自分が思っているよりも能力のない奴だった
異動先の部署は、僕よりも年上の方、年下の方が同じくらいいて、同い年の方もいました。
そして、僕の業務はとある後輩と一緒にやることが多く、よくその後輩と業務を行っていました。
その後輩は細かいところによく気が付くタイプで、僕が見逃してしまうようなところも気が付いて、よくフォローしてくれました。
それでいて、偉そうな態度を取るわけでもなく、人間的にもできた後輩でした。
でも、僕はその後輩にだんだん劣等感を感じていました。
その後輩が気が付くことは、自分は全く気にもしていなかった。
その後輩がやっていることを、同じように自分ができるだろうか。
なんで他の人があっさりやっていることを、自分はできないんだ。
自分はなんて能力のない奴なんだ。
自分はある程度何でもできるなんて思いあがっていたバカだ。
……こんな風に思うようになっていきました。
この頃には、すでに頭がぼんやりして思考がまとまらない感覚があったので、そのせいで、うまく仕事ができない部分はあったかもしれません。
それでも、今までそれなりに仕事をこなしてきた自信はありましたし、他の人に頼りにされている自負もありました。
……それが、全部まやかしだったんだと気付く。
よくよく考えれば、自己肯定感は高い方ではありませんでした。
必死に背伸びをして、
自信があるふりをして、
弱い自分を隠して、
強い人間のように見せていただけ。
でも、強い自分なんてもの、はじめから無かったんです。
焦りと寝不足
時間がない……
当時、夜9時か10時くらいに家族で床に就き、朝は午前2時から3時頃に起きる生活をしていました。
その時間に何をしていたかというと、
健康と体力維持のための運動
英語の勉強
この2点でした。
当時は時間が無いという焦りにおびえていて、少しでも時間を無駄にしないようにと気を張っていました。
ちらちら時計を見て、
「もうこんな時間だ……」
「全然やりたいことができてない……」
と、いつも焦りを感じていたのを覚えています。
当時、「TimePod」というスマホアプリで朝の時間を管理していました。
↓はその一部のスクリーンショットです。
とにかく時間が無いことに焦っていたので、ひげそりを何時から何時までやったとか、そういうのを全部記録して、無駄を排除しようと思っていたんです。
どうしてそんなに焦っていたのか?
詳しくは改めてお伝えいたしますが、2022年に独立や転職の話をした際、妻に大反対されました。
安定した公務員の立場を捨てるのか、と。
とにかく、公務員を辞めたかった僕は、
「じゃあ公務員の立場に代わる、別の安定があればいいんじゃないか」
と思い、TOEIC満点を取ったら安心できるかと妻に尋ねました。
妻からは、それならいいんじゃない、と答えが返ってきました。
(今思えば、それはまともな対話でなかったというか、妻も本気では受け止めていないようでした)
そこで、とにかくTOEIC満点という実績があれば公務員を辞めて、好きなことができる!と思い、早起きして英語の勉強をし、通勤中や帰宅中はもちろん、昼休みもご飯を食べずに勉強をしていました。
とにかく、とにかく焦っていました。
早くしないと、自分の寿命が尽きてしまう。
やりたいことをやらずに、後悔しながら死んでいくことになってしまう。
そんな思いに駆られ、時間が足りないといつも嘆き、眠る時には気絶するように一瞬で眠る(妻談)、という生活を2022年頃から続けていました。
今思えば、異常だったと思います。
あまりにも焦りすぎていました。
心に異常をきたしてしまったのは、寝不足も大きな原因だったのかもしれません。
異常発生
そんな生活が続いた、4月半ば頃だったと思います。
朝、仕事に行く前、妻や子どもたちの朝ごはんを用意するなどしているとき、
「スゥゥ……ハァァァ……」
と大きく呼吸をしなければいられなくなったのです。
動悸がして、呼吸が苦しくて……。
「あれ?なんかおかしいぞ……?」
と、身体の異常に気が付き始めたのです。
長くなりますので、次回に続きます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!