これもまた一興
はじめに 想像していた未来
月曜から金曜まで正社員として落ち着いた雰囲気でデスクワーク。だるいなぁとぼやきつつも毎朝出社するのが当たり前で、毎日をコツコツと生きている自分。
小さい頃からそんな未来をずっと思い描いていた。
1.大学入学
日陰の残雪と春の陽気が入り混じった4月。私は心躍らせて大学に入学した。第一志望の学校ではなかったけれど、雰囲気は気に入っていたし未来へのモチベーションが下がることはなかった。新生活に際して、やりたいことそして将来の社会人生活に向けて準備しようと私はせっせと船を漕ぎ出していた。
振り返ると大学に入学する前も後も私は真面目だった。基本先生や親から注意されるようはことはなかったし、そもそも悪いことをしちゃおうだとかサボろうという発想に至ることがなかった。真面目にコツコツと生きていればちゃんとした社会人になれると信じて疑わなかったのだ。
しかし、そんな小娘の顔色を一瞬にして青ざめさせる強者がいた。
2.就活、はじまる
私は就活に失敗した。ただ失敗と言ってしまうとこれまでの自分の歩みを無下にしすぎな気もするが、成功か失敗かでいうと紛れもなく失敗サイドである。
まだまだピュア真面目だった大学3年生頃の私は、インターンシップや各種説明会に参加するようになっていた。最初は実感がなくても次第にうまくこの波に乗れると、ここでも信じて疑わなかった。ただいざ色々と始めてみると、就活に関する事柄やその環境に適応出来なかった。面接などでは普通に話せていたのだが、「きっと私が生きていける環境ではないのだろうな」と無意識に感じる事がよくあった。この時人生で初めて周りの人と同じことが出来なかったし、我慢して適応することも出来なかった。目的は就職してお金を稼ぐというのは分かっていたのだからその時だけでも軽くスルーすればいいものを、不思議と自分の心持ちを変えられなかった。
隔週で企業からお祈りされることも当たり前になってきた頃、既に内定の出ている友達と会った。その子は「もう就活とか早く終わらせたかったからさ〜」と言っていた。そう!私だってそうしたい。だがそれがモチベーションにならないほど気持ちがふらついているし、それによって起こす行動も案の定ガタついていた。
その後も特に何か変わるわけでもなく、かといって普通から外れる事も考えられなくて、ただ船を海に浮かべていた。たまにどこかに漂着することもあったが、船体が少し傷つくだけで何も成さなかった。
このあたりから本格的に自分の内面を疑い始め、
「もしかして、私そういう未来じゃないのか?」
「いやいや、合うところがまだないだけさ!」
「そっか!そうだよね…でもさ、なんかいつもと違って調子おかしくないか?」
「...」
こんな気持ちを繰り返した。
3.卒業と駆け込み就職
4年前のあの時よりまだまだ寒さが残る3月末、大学を卒業した。ゼミ研究や各講義のレポート作成がよほど楽しかったのか、心にぽっかり穴が空いてしまったような寂しさを感じていた。
さて、式を終えて会場で友達を待っている時、私は明日の仕事の昼ごはんを何にするか考えていた。
…そう、あの後満身創痍ながら卒業ギリギリで仕事をゲットしていたのである。しかも卒業式前にもう働きだすという、以前では考えられないちょっとした時空の歪みを見せていた。
私は安堵の気持ちで一杯だった。正直この時は「また普通に戻れてよかった」と思ったし、これで自立した社会人、何も後ろめたいことなどないと日々の仕事に邁進した。
4.あっけない終わり
幸い職場の皆さんにも恵まれ、目の前の仕事に取り組みながら普通の一人暮らし・社会人生活を送った。会社によっぽどのことがない限り、それは続く予定だった。しかし、ありがたい事に会社はずっと元気だったが次第に私が元気でなくなってしまった。
仕事にも段々と慣れてきた頃、ふとした瞬間に遠くを見て何か考えるようになっていた。単純に仕事の疲れとかそういうこともあっただろうが、どこからともなく就活中のふらついた気持ちをまた感じていた。正直このあたりから先一年の記憶はあまりない。[心ここに在らず]と書いてあるハチマキがいつの間にか頭に巻かれていたし、たまに会う家族にもそう見えていたのではないだろうか。とりあえず体は動くけど中身はいつも無関心無感情だった。周りの人が良い人ばかりなことが唯一の救いだった。
ここから急だが結局一年ほどで退職した。
「情けない!やいやい!おまえが好きな普通の道と外れるぞ!」と自分で自分を叱ったところで、びくともしません。退職する時、ありがたいことに皆さんから色々と頂き物やお手紙があった。短い期間だったけど真面目にやってきて良かった、感謝だなと思う反面なぜか空虚でもあった。
私はまた振り出しに戻ってしまった。
5.あの時の三者面談
高校三年生の時、三者面談で担任に「コンビニでアルバイトだけはやめてね」と言われたことがある。もう前のことだから話の前後は覚えてないけれどその言葉だけはなぜか忘れられない。この解釈で合っているのか分からないが、多分ネガティブな意味合いでコンビニでバイトすることを挙げたのだと思う。(そもそもコンビニバイトは何も悪くない)
そんな私は今、担任が言ったそういう未来を辿る可能性がある。仕事を辞めて定職に就かずなぜかnoteを書いている。同じブルーライトを浴びるにしても、職場のパソコンで浴びてもいい気がする。
きっとこれまでのアイデンティティだった真面目さは自分を構成する一アイテムにすぎず、それが必ずしも望む姿に直結するわけではなかったのだ。振り返れば「まぁそんなもんでっせ!」という結論なのだが、私にとってはかなりショックであり、長年の自分に裏切られたような気持ちだった。それと同時に、私の中の真面目さは、例えば体に必要な筋肉をつけるため日々トレーニングを頑張るぞ!という健康的なものではなく、ただただ己をムチ打つための強迫観念に似た真面目さであったことを悟った。根っこからちゃんとしてる人達とはまた性質が違っていたのだ。
大学生の時も当時高校生だったあの時も無意識に気がついていたけど、認めたくなかったのだろう。認めてしまったら、望む未来から遠のくと思っていた。だから、自分にこれから訪れる危うさや感じるであろう違和感を予感しその言葉にギクリとしたのだ。
おわりに 想像していなかった未来
昔なら今のこんな浮き草な状態は考えられなかったし、絶叫ものだった。正直、想像していなかった未来を過ごす中で落ち込む事の方が多い。でも心なしか楽になった気もする。
子どもの頃、マリオパーティーのすごろくで遊ぶのが好きだった。ただ、たまにクッパに邪魔されたり、自分のおっちょこちょい等によって振り出しに戻ることもあった。
渋々またサイコロを振る。
そしてさっきとは違うルートでどこかへ進んでいた。
人生は決してゲームではないが、そんな心意気も時に大切であると、これまでの全てが教えてくれたように思う。