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継続するということ
モダンバレエを習い続けてきた。
5歳で始めたこの趣味は、今もずっと続けている。
そんな長いお付き合いの、ずっと心を支えてくれた、この趣味とのお別れが近づいている。
期待と不安と。
私は今、22歳だ。
興味だけで進学を決めた大学を、来る3月で卒業する。その後は社会人だ。
一般企業に就職することが内定している。
大きな環境の変化は、自分の変化に伴って生じることが多いものだ。就職するとなれば多々変化が起こる。
自分にかかる責任も、家族との関係も。居住地も担うべき義務も。
様々な変化があるが、私の中で一番大きなもの一つには、長く続けてきた趣味とのお別れがある。
期待と不安。
想いが交差する最近の感情を書き残そうと思う。
偶然が重なったはじまり
今思い返せば、モダンバレエを始めたのはまさに偶然だった。
幼稚園のお友達の中にダンスを習っている子がいた。多分、ヒップホップとかだったと思う。
それを聞いた幼稚園児の私は、ダンスがやりたくなった。
「〇〇ちゃんがダンスを習っているから、私もやりたい!」と母に言ったそうだ。
きっと、別にダンスが好きだったわけではない。幼稚園児によくある、周りの子がやっているものが眩しく見えて、自分もやりたいという衝動に駆られる状態だったんだろう。
そんな我儘を叶えようとしてくれた両親、祖父母はダンス教室を探してくれた。
我が家は両親共働き家庭で、3つ下には弟もいる。
私が通うダンス教室の条件は、祖母が仕事の合間にでも送っておける距離にあることだった。
バス停や駅すらも歩いていくのが難しい片田舎。ダンス教室なんてないだろうから、諦めさせようかと思った矢先、片道15分圏内の教室が一個だけあったそうだ。それが、ダンスはダンスでも、モダンバレエの教室だった。
気付いた長所
5歳で始めたモダンバレエは、最初こそ泣きじゃくっていたものの、次第に楽しいものになっていった。
大して体が柔らかいわけでもセンスがあるわけでもなかったが、ただ楽しいという気持ちだけでずっと習い続けていた。
次第に、週3でレッスンに通うようになり、舞台前は週5で通っていたりもした。
私は様々なことに興味を持つ性質なのか、他にもやりたいと欲張って生きてきた。
モダンバレエを続ける傍ら、小学6年まで体操教室
に通った。市民ミュージカルにも参加した。小学4年からはバスケを始め、中3までやった。高校では文化系の部活を2つ兼部した。
どれだけ忙しくても、モダンバレエを辞めようと思ったことは、一度もなかった。
今思えば不思議な話だが。
17年も続けていると、受験を2度経験することになる。高校受験と大学受験。
もともと自信が全くない私にとっては、この不安定な時期はしんどいものだった。
それだけ勉強しても全く成功する気がしない。
不安で押しつぶされそうで、寝る時間すらも惜しんでしまう。
そんな私を見かねた父が、励まそうとこう言った。
「大丈夫。君には続ける才能があるから。僕にはないんだよ。皆にあるとは限らない貴重なものだよ。誇っていい。優れたものがあるんだから、そんなに不安にならなくていい。受験はすべてじゃないよ。」
この言葉は私のこれからを支える言葉になった。
「私はただ、一つのことを続けることができる。」
私が唯一誇れる長所である。
バレエが上手な訳ではない。
後輩にどんどん追い抜かれた。
自分でも体が年々変化するにつれてできなくなった動きを自覚しては悔しい思いを味わった。
17年間、決して注目されるような踊り手ではなかった。
それでもただただ楽しくて、ずっと踊り続けてきた。
結局はただ大好きなだけだった。
後輩には、センスのある子がいっぱいいた。
先輩には、絶対に私ではできないことをすんなりとやってのける人が沢山いた。
そんな中で私は、基本的にはスポットライトの当たらない踊り手だったように思う。
体が硬かった。
演技力にも長けていない。
音感が良いわけでもない。
素敵に踊りたい想いと、鏡に映る自分のギャップに何度も悩んで悔しく思った。
レッスン後にこっそり泣いたことも何度もあった。
それでも、私モダンバレエが大好きだった。
舞台に立って踊ることでしか得られない感情があった。
理想に近づけるために踊り続ける過程が大好きだった。できない事ができるようになった瞬間が何よりも幸せだからだ。
それに、舞台でなら自分の思いを溢れさせることができた。
結局、続けてきた理由はシンプルで。
ただ、大好きなだけだった。
寂しさとその理由
就職が決まった。
地元を離れなければならなくなった。
すなわち、大好きなこの趣味とお別れしなければならなくなった。
わかっていたことなのに、実感が湧くと寂しい。
先生に、1月末で辞めます。
と伝えた日、帰りの車で涙が止まらなかった。
なんでこんなに寂しいんだろう。
先生も一緒に踊る仲間たちも。
私を、とても大切にしてくれた。
バレエとは関係のない大会に出れば応援にも来てくれた。
スタジオ全体で応援してくれたんだ。
受験合否も親のように気にしてくれて、合格した時には良かったねぇ…おめでとうって祝ってくれた。
あとから聞いた話だが、一緒に踊ったお母さん世代の方々は泣いて喜んでくれたそうだ。
そんな恵まれた環境が、場所が、私には特別で大好きだった。
進学に伴って友達と離れ離れになっても、単身赴任で両親が家から出ていってしまっても。
私にはずっと変わらない居場所があった。
それが、このバレエと一緒に踊る人たち。そして先生だった。
バレエが踊れなくなるのはもちろん悲しいし寂しい。広いステージや何も無いスタジオで感情を爆発させる感覚をもう味わえないのはとても惜しい。
でもそれ以上に。
ずっと私を支えてくれた、影の心の拠り所。
私を問答無用で受け入れてくれる居場所。
それを失うのが怖くて、寂しい。
自分で決めた就職。
何かを得るには何かを諦めなければならないことくらい分かっている。
それでも何とも言えない寂しさや心細さが募る。