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雨の日には雨の中を【エッセイ】

半分開いた窓から雨音が聴こえてきて、目が覚める。今日は朝から雨だ。

でも雲はそんなに分厚くなくて、部屋に電気をつけなくても明るく感じるくらい。
いつもは朝日を浴びたら活動的に動きたいタイプなのに、こんな日はまったりゆったりとした気分になる。

朝食を摂りながら、いつの間にか雨音に耳を澄ませて、ぼーっと外を眺めてみる。ふいに意識を手元に戻したとき、自分は天気に影響されやすいなぁと思ったりする。
そんな自分も嫌いじゃない。
たぶん、中学時代に出会った言葉が心に寄り添い残っているから。

『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』相田みつを


どこから手に入れたのか覚えていないけど、この言葉が筆文字で書かれたポストカードを気に入って、中学時代の自分はノートに貼りつけた。
そこに自分の解釈を書き添えて。

現在そのノートは処分してしまったので手元には残っていない。
それなのに、何をそこに書き記していたか、しっかりと自分の中に残っているから不思議なものだ。

数々の言葉を遺した相田みつをさんが、その生涯でもっとも大切にした言葉だそう。

あるがままに歩み続けていけばいい—。

どんな自分だっていいから、そのときの想いを味わいつくそう。
「生きる」ってきっとそういうこと。

雨音に季節を感じる

ポツポツ、パラパラ、シトシト、ザーザー。
季節や心模様によっても聴こえ方が違ってくる。
自然音の美しさに心を研ぎ澄ます日本人の感性ってほんとにすごい。

日本には「雨の呼び名」が約400語もあるそうだ。
梅雨、霧雨、五月雨、長雨、豪雨、秋雨、雷雨、時雨……
まだまだこんなものじゃない。
時期や雨量によっても細分化されている。

わたしは一日の中でも、雨の量や強さによって変化していく音を楽しんでいる。
雨雲の動きを見るのも好きだ。
雲間からわずかに青空が見えたり、光が差し込む瞬間は心が躍る。

でも、この「好き」を理解したのは、きっと外に目を向ける時間なんてないほど現実に突っ込んで仕事をしたりしていた時期があったからだろう。
そのときは一生懸命だったけど、なんでこんな素敵な世界を見逃すようなことをしていたんだと、勿体なさを説きたくなる。

人生にも、季節があるということなのだろうか。

雨上がりに、濡れた植物たちが陽の光を浴びて輝く姿を見ながら散歩をするのも大好き。

アガパンサスの濡れた姿は格別だ。
真っすぐ伸びた茎から、薄い青紫の花やつぼみがつややかで美しい。
水も滴るいい花を見て思わず近づいてしまう。

雨が降る中のさんぽ

先日、雨が降る中2時間ほど歩いて散歩をした。
まあまあな距離だったと思う。

そんなに強雨というわけではなかったから「よし、行こう!」と決めて、長靴をしっかり履いて出かけた。
いつもなら、仕事じゃないなら家でゆっくりしたい人なのに。
それだけ、行きたい気持ちのほうが強かった。

何をしたかったかというと、先日購入した本に子供のころ通った古街道が載っていて、記憶が正しいか確かめたかったのだ。
「記憶」というのはだんだん思い込みも重なったりして、実際とかけ離れてしまうこともあるのを知っているだけに、自分の記憶に自信がなかった。
そして思い出してみたかった。

傘を差しながらせっせと歩く。
ときどき立ち止まって写真を撮ったり、立て札を読んだりする。
ほんとうに「雨の日に雨の中を」散歩してしまった。

こうやって、何もないかもしれないけど、行動してみるっていいな。
いつもと違う行動をする自分に、心が前を向いていることを教えられる。

帰宅したとき体はだいぶ疲れていたけど、心は疲れてない。
むしろどこか満足していた。

いつもと違う行動をしている自分に気が付いたら、きっともうすぐ新しいことがはじまる。

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