
何歳になっても成長する
息子が大学生になって初めてのお正月。自宅生なので親元から離れるのはまだ先と思っていたら、部活の大会に参加するためクリスマスも年末年始も合宿で不在、思いがけず夫婦2人だけで過ごすことになりました。「○○しなければ」を手放し、久しぶりに自由な時間をゆっくり過ごせました。
太平洋側の冬は、青空が広がるカラッとした天気が多かった印象があります。手が乾燥してガサガサになり、ハンドクリームが欠かせませんでした。ところが、今シーズンはそこまでではありません。晴れていても雲が広がり、にわか雨が降ることもあり、安定しない天気が続いています。日本海側で大雪が降っている影響もありそうです。天気によって気分が左右されやすい私にとっては、天候の変化は見逃せません。
さて、noteをなんとか再継続させたいと思っていたので、入会している母親アップデートコミュニティ(HUC)の6周年祭カウントダウン企画に初参加してみることにしました。
2024年の振り返り。
昨年末にマインドフル・ジャーナリングプロジェクトのクラウドファンディングのリターンとしてマインドフルネス・ダイアリーを手に入れました。「紙に書く」習慣をもう一度見直してみたいと思い、これを使って月ごとに振り返ってみました。
ちょうどタイミングよく、HUC内でも振り返りの会があり、「仕事・趣味・つながり・健康・学び・家族・お金・未来への種まき」を項目ごとに振り返るという機会も得ました。
その結果…
2024年は想像以上にアップデートしている、「私、頑張ったね‼」と胸を張れる1年だったといえます。
2021年からの暗黒の日々
というのも、私は一昨年から原因不明の発熱を経て手足が突然腫れ、体を動かすのが苦痛になるという難病にかかり、検査しても病名が特定できず、痛み止めで応急処置をする状態が続いていたからです。
さらに言えば、4年ほど前からうつになり、過去の記憶もなくなり未来に思いを馳せることもできずやる気が出ない、うつと気づいてからも波があってなかなか回復したというところまでいかないという状態も並行していました。
厄介なことに、うつは見た目では調子の悪いことに気づいてもらえず、一度うつ状態になると長期戦、一進一退を繰り返し、右肩上がりに回復するわけではありません。
一度noteにうつのことを書いたことがあります。
2022年の春でした。うつ状態から少し脱出した気がして、前向きになれた時期ですが、そこからさらに2年、進退を繰り返している時に難病に襲われるという悲劇が起きたのです。自由に歩き回れなくなり、人生の終わりを真剣に考えました。
そんな中、迎えた2024年。スタートは子どもの大学受験本番のため緊張状態が続きましたが、なんとか大学に進学することができました。保護者の役割が少なくなり、やっと自分中心の生活が送れると期待だけは大きかったです。
自分探しの旅に出る
しかし、長い間「自分は後回し」の生活をしてきたこともあって、「自分」に何ができるのか、何が好きなのかすっかりわからなくなっていました。思うように事が運ばない苛立たしさがありましたが、急には変われません。まずは「自分探し」の旅に出ることにしました。(旅といっても、調子に波がある難病を抱えていたので、調子の悪くない時を見計らって、日帰りが精一杯でした)
主にHUCのメンバーがいるところへ出向き、いつもと違う場所でおしゃべりすることで「自分探し」のヒントをいただきました。
また、「保護者」とは違う役割を得ました。HUCのバックオフィスチームに手を挙げ、メンバーにささやかなチャレンジを見守っていただきました。
扶養内のパートタイムからほぼフルタイムへ転職活動もしました。扶養内で働いている人たちとお話しする機会があり、仕事に対して自分はどうありたいかいろいろ考えました。
期限付きの学びにチャレンジする
学ぶことは好きでしたが、うつ状態の時には精神的な負担がかかるので、これまでは期限のある(カリキュラムと日程が決まっている)学びがなかなかできませんでした。一歩踏み出し、ワクワクすることだったらできるのでは?と考えながら、期限付きの講座を受けてみました。気がついたらいくつもの講座を期限内に修了できていました。
更年期に襲ってくる様々な症状の経験を学びに昇華することで「日本フェムテック協会認定資格2級」も取ることができました。その後の自信につながりました。
自分の「好き」を体感する
今はYouTubeなどで気軽にエンターテイメントに触れることができますが、やはり本物を生で見るのとは違います。人気のあるエンターテイメントはチケットを取る時点で諦めてしまいがちでした。運よくチケットが取れ、コンサート・アイスショーなどを観に行くことができました。プロの好きなこと、やりたいことを表現しているのを観るのは、その道に進むわけではない私にもいい刺激になりました。
片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんがモノを捨てるかどうかの判断にしている「ときめき」。これは、英語だと spark joy というのだそうですが、自分の本当にやりたいこと、好きなことを探しているうちにこの意味がわかってきました。私には英語の方がしっくりくる感じがしていて、自分の「好き」にヒットすると spark joy が起こることに気づいたのです。
自分の持ち物に好きな色を取り入れるということでもときめきが感じられます。持ち物でなくても、例えば、Excelのセルに色を付けるということであってもです。表の見栄えをよくするためにつける色を、ある時、標準色ではなく私の好きないわゆるスモークカラーのピンクやグリーン、ブルーにしてみました。すると、どうでしょう。私の中でspark joy が起こりました!驚きました。Excelでこんなに心が躍るとは!(笑)
余白で直感が研ぎ澄まされる
仕事中にすごく暇な時がありました。以前だったら、「今晩のおかず、何にしようか?」とか、「帰ったらあれとこれをやって、それから…」と無駄な時間はもったいないと頭の中が忙しく、落ち着きませんでした。そこで、「今、私がやりたいことは何?」を考えるようにしました。何も出てこなくても考え続けました。時間に余裕を作ることで、直感が研ぎ澄まされるような感じがしてきました。少しずつですが、こんなこと、あんなことをやっていた、好きだった、情熱を傾けていた…ということを思い出しました。本当はこれがやりたいのでは?ということが見えてきました。
好奇心旺盛な私が戻ってきた!
元々私は好奇心旺盛で、やってみたいと思うことがあったら、リスクが少なければどんどんやってみるタイプでした。ワクワクしているうちに、「好奇心」というワードが思い浮かびました。そして、以前のようにやってみたいことが次々と出てきたのです。
こうした積み重ねにより、私を覆っていた厚い殻が取れてきたようです。気がついたら心も体も調子が上がっていました。難病は寛解、うつ状態はほぼ解消したと言えるくらい回復しました。ワクワクするってこういうことなんだ、この歳になってもワクワクできるんだと前向きに考えられるようになりました。
2025年のスタートに思う。
では、この私を覆っていた厚い殻とは何だったのか?
十数年をかけて想像以上に厚くなってしまった、「母親はこうでなければ!女性の生き方はこういうものだ!」という縛りだったのではないかと考えています。これは、その縛りに気づかないと(いや気づいたとしても)、次の世代に引き継がれてしまいがちな厄介なものでもあります。
先人にも同じような思いをした人はいるでしょう。でも、声を上げたり、社会を変えようと動いたりする機会は今ほどなかったでしょうし、いろいろ我慢してきたから余生は平和に暮らしたいと思う人も多かったでしょう。
「結婚して子どもを育てるのが女の幸せ」だった頃から選択肢は増えたかもしれないけれど、残念ながら社会構造はゆっくりとしか変わってはいないのではないでしょうか?でも、私は最期に、この時代を生きてきて幸せだったと思いたいのです。
難病にかかった時に残りの人生は長くはないことを思い知らされ、やりたいことは先延ばしにしないと考えるようになりました。今はできないことでも、チャンスが訪れたらやりたいと思っているのなら、すぐ動けるように準備をしておこうと思います。そして、後に続く世代がもっと生きやすくなる世の中になるように、余力を使って私なりの方法でできることをしたいです。
余力ができて他者のために使いたいと思えるようになったこと、これもうつから復活した証拠の1つです。人生は右肩下がりになったら終わりではなく、元々山あり谷ありです。何歳になってもワクワク、spark joy して成長する人生をこれからも楽しみたいです!