十五、十六、十七と・・・
十五十六十七と私の人生暗かった・・・
宇多田ヒカルさんの亡くなったお母様、
藤圭子さんの唄。「圭子の夢は夜ひらく」
という唄がかかると母がいつも
「この唄、私大キライ」と言っていた。
リアルタイムで藤圭子さんが唄ってるのは知らないし、モノマネ番組などで誰かがマネしていた時だと思う。子供の私が観ても藤圭子さんは綺麗
だけど暗い印象だった。
若い人は知らないでしょうね。
(この唄は、唄って漢字があっている気がする)
母は中学を出てすぐ就職したし、家が貧しかったからそう言うのかなくらいに思ってた。
後に母が蒸発し6年くらいで再会した時、父と
結婚したのは家を出たかったからと言ってた。
好きでもない人と結婚したってことで私は
「私にそれ言う」って母にキレた記憶がある。
そんな母のせいで(笑)
私の十五、十六、十七と・・・も暗かった。
ずっと仲が悪かった両親のケンカが絶えず
父の嫉妬心も見えて気持ちが悪かった。
明らかに母に別な人がいて私のベットの下に
その人との手紙なんかを隠すから母が堕胎をしたことも知っていたし、私の友達が母が男の人といたよって言われたこともある。
高校受験も地元の高校が嫌で名古屋の商業高校へ行った。姉が私立でお金がかかったので公立へ
という流れで受かってしまったので母は喜んでいたが自分のレベルより上の高校だったのもあったし学校で友達はいたけど楽しめず休みがちだった。そんな状況でも母は次の年の一月に
私の通学に着ていたコートに置手紙だけして
出ていった。
なんとか2年に進級したけれど家事をしながらの
通学はきつく入学当時ぽっちゃりしていた私は
18キロも痩せていた。
父と残ったので金銭面で不安はなかったけど
父はまったく家事ができないし、姉は年が離れていたので友達の家に泊まり歩いて帰ってこない時も多かった。過食拒食繰り返し、下剤を飲んだり自ら嘔吐したり。
学校もついて行けず、家にいても苦痛。
彼氏がいたわけでもなく地元の友達と
遊んでいても心から楽しめてはいなかった。
いろんなことから逃げたくて
2年の文化祭が終わる頃、退学した。
1年の頃の担任の先生は気にかけてくれたが
2年の担任の先生は痩せてしまった私を見て
身体を治しなさいと言っただけ。
何もかもが嫌になり死にたいとさえ思っていた。
この時期になると思い出すことがある。
1年の時の先生から連絡があり
私の後に同じ高校を退学した友達が
亡くなったと。マンションの屋上からの自死。
遠い昔過ぎて記憶もあいまいだけど即死でなく
痛い痛いと泣きながら亡くなったと。
彼女も複雑な家庭だったことも知っていたが
お互い大検受けるかって話してたのに。
彼女のお陰で私はあちこちぶつかりながらも
生きてきた気がする。私は時代が良かったせいか
働くこともできた。今は母のことも理解はできないが消化はしている。
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひ・・ら・・く・・。
いやいや、若い日のつまづきはあっても
そんな暗くない。生きてるだけで丸儲け。
若い人の支援をしてみたい。そう思ったのも
何か私にもできないかながきっかけだ。
更年期のおばちゃんのつまずき経験の
積み重ねも役に立たないかなって。
けしの花ってポピーなんですね。知らなかった。
どう咲きゃいいのよこの私。
夢は今、ひ・・ら・・く・・・・・笑。