22.忍耐と努力
母は私のために一生懸命、なんでもしてくれた。
だから、私を叩いたり蹴ったりするのも、私を育てる責任として一生懸命になりすぎてのことだったのだろうと、今は思える。
単身赴任で父が不在のため、夏休みに母の実家のある福島で過ごしたり、最後に二人で出かけたのは千葉の谷津遊園。
今はもうない。
そこにはとても広いプールがあり、滝もあったりして、私が一人で遊んでいる間、母は木陰で待っている。
近くのプールへもよく連れて行ってくれた。
一番近いのは市営のプールだが、とても狭いので、少し高めの値段だが、浅めのールから深いプールまで3つくらいあって、プールサイドにはジュースや焼きそばが売っている屋台がある。
お友達と一緒の時以外は、そこで買うのは許されていない。
必ず麦茶の入った水筒と梅干しおにぎりを持たされた。
私はお小遣いは貰っていなかったので、お使い以外、お店でお買い物もしたことがなかった。
一度だけ…お菓子を買ったことがある。
それは、母に頼まれてお豆腐を買いに行った時のこと…
お風呂屋さんの近くにある小さな商店街のような場所。
テレビで見ていたペッツにとても興味があり、一度でいいから食べてみたかった。
どんな味がするんだろう…
そして私はお豆腐のお金で、ペッツを買ってしまった。
子供が持てるくらいの小さなピンクのお買い物かご。
その中には小さなお財布とペッツが入っていた。
私が謝ると、意外にも母は怒らず、再度お豆腐を買いに行かされた。
頼まれたもの以外、買ってはいけない、
私は心に誓った。
普段、おやつというものがなかったが、母は毎日家にいるので、学校から帰って夕ご飯までに時間がある時は、丸ごとニンジンか焼き海苔。
母がお菓子を買ってくれるのは、運動会と遠足のみ。
私が小学生の低学年の頃、ペロペロチョコというものが発売。
見慣れた茶色のチョコと、ホワイトチョコが二層になって、(不二家のペロペロキャンディのチョコバージョンみたいな感じ)プラスチックの棒がついている。
ホワイトチョコに絵が書いてあるが、キャラクターとかではない。
母も私も、初めてホワイトチョコを見た。
母は
「その白いのは食べられるの?」
と私に聞いた。
普通に、とっても美味しかった。
たまに、チョコを買ってもらって、それがおやつの仲間入りをした。
『サザエさん』で、食器棚の中のおやつを、サザエとカツオが取り合いすることがあるが、
おやつってお菓子なんだ〜
と、テレビで初めて知った。
母とのエピソードで忘れられない事がある。
私が小学校高学年の頃、母は巣鴨のとげ抜き地蔵によく行っていた。
行くようになったきっかけは知らない。
時々、私も一緒に行った。
おなか痛い
と母に言うと、それまではよく正露丸を飲まされていたのだが、ある時から、とげぬき地蔵の絵が書いてあるお札(半紙のような4〜5×1cmくらいの紙にお地蔵さまが描かれている)を、小さく丸めて飲まされた。
それ以来、頭が痛い時なども、お札を飲まされた。
母はお地蔵さまが治してくれるからと言っていたが、正直私は信じられなかったけど、拝みながら飲んだ。
治ればご利益があった、治らないときは拝み方が足りなかったからと言われ、薬を飲む。
最初から薬飲んだ方がいいのでは…?
と、思ったが、信じ切っている母には言えない。
6年生冬、もう直ぐ受験というある日、とげぬき地蔵でお参りを済ませた後、入り口にあるたくさんのお店を見て回っていた。
とっても可愛いいちごのキーホルダーが売っていて、
欲しいなぁ…
と、言ってみた。
いちごを指さして。
『買ってあげようか』
と、奇跡のような言葉!!
いいの⁉︎
『いいわよ。
たまにはね。』
と母は笑顔だった。
『このどちらか選びなさい。』
母はキーホルダーを2つ持ち、私に見せた。
母が差し出したのは、イチゴではなく、
可愛いとは程遠い…
銅のようなもので作られた長方形のキーホルダーが2つ。
それぞれに言葉が書いてあった。
“忍耐” と “努力”
返す言葉が見つからなかった。
そのキーホルダーを見つめたまま、私は固まっていた。
『どっちがいいの?
早く選びなさい!
欲しいんでしょ⁉︎』
違うなぁ…
私が欲しいのはそれじゃないんだけどなぁ…
でも、ここで選ばなかったから、また怒られちゃうし。
どっちもいらないんだけどなぁ…
努力も大変、忍耐はもっと辛い。
私は、
“努力” にする
と母に言った。
『そうね。
あなたには努力が必要ね。
受験、頑張りなさい。』
あ〜 “忍耐” にしなくて正解だったかも〜^^;
そのキーホルダーは、ずーっと捨てられず、結婚する時まで持っていた。
キーホルダーが無くても、努力しろと、いつも母に言われているような気がする。
…続く……🍓