摂食障害25周年!⑨
「スキキライ」
食わず嫌いを良しとしなかった心情故に苦手な食べ物は可能な限りの手段で口にしたがやはりダメだった、ということでこれまでの自分の人生で食べれない食材が2つだけある。
椎茸とレーズン。
この2つだけは自分の思いつく限りの料理法で口にしたがやはりダメだった。
大人なので、残したりはしないがなるべく出会わない人生を歩んでいる。
椎茸が嫌いと話すとあるあるだがキノコ嫌いと勘違いされる。
「わかる!あの食感気持ち悪いよね!」
「土臭いよね、キノコは!苦手なのわかるよ! 」
と、勝手に規模を広くされる。
私は椎茸以外の大抵のキノコは平気である。むしろ好んで食べる。
土臭いに乗じるなら根菜類こそ全部好きである。
なので、私は椎茸のみが嫌いだ。
私とて努力した。
刻んでハンバーグにいれたり、ラーメン出汁のみに使用したり。
カレーにいれたり、数種類のキノコに混ぜて炒めたり。
ダメだった。
何故か椎茸の味だけ強調されて美味しく食べれなかった。
カレーだろうが麻婆だろうが、消えなかった。本体いなくても出汁だけで無理だった。つまり煮物や鍋なぞしたら出汁吸った全ての食材が食べれなかった。
つまり食感云々ではない。
この味がダメらしい。
生椎茸か干し椎茸しかこの世に存在しなかったら生椎茸選ぶが3日生きる自信が無い。
肉厚の椎茸を網焼きしてレモンかけたら美味いとよく聞かされる。
それは好きな人の感想だ。
嫌いな食材がある人に無理に勧めてはならない。それ食べなくても生きていけるんだから。
レーズンは椎茸ほど嫌いでは無い。
子供の頃はぶどうパンのぶどうを全部くり抜いて破棄していたが、大人になってからはエンカウントを避けるスキルを手にし、うっかり数粒遭遇しても何食わぬ顔で食べれるくらいは成長した。
なんでチーズケーキやかぼちゃサラダに入れるんだよって声を大にして言いたいが私は大人だ。
今度から成分表を確認しよう。
ここで野菜嫌いの友人を一人例に挙げよう。
彼女は野菜嫌いだ。
野菜嫌いと聞いて何をイメージするだろうか?
人参、ピーマン、たまねぎ、ナス?
それならまだいい。
世の小学生が嫌いなランキングベスト10くらいなら気にしない。
だが、彼女は野菜嫌いだ。
カテゴリーとして野菜が嫌いなのだ。
ある日、私は彼女とちゃんぽんを食べに行ったことがある。
「ちゃんぽん野菜抜きで」
と平気で注文をする。
ちなみにちゃんぽん食べたいと言ったのは彼女の方だ。
私には至って普通のノーマルちゃんぽんが彼女の元には肉のみちゃんぽんがくる。
人の好みをとやかく言いたくは無いが彼女の肉ちゃんぽん見る度野菜の彩りに感謝してしまう。
作ってくれる店側も大概だが、値段は据え置きなので問題ないのだろう。
鍋も食べに行ったことがある。
野菜は全く手をつけず、肉しか食べない。〆の麺や飯は食う。
ラーメンを食べに行った時はネギ抜き、海苔抜き、チャーシューのみのトッピングだった。
ある日私は聞いた。
「野菜全部嫌いなの?」
彼女は答えた。
「なんで人間が草や根を食べないといけないの?そんなの動物や虫がすることでしょう?」
なるほど。
そんな考えもあるのか。
世の中いろんな人がいるからなぁ、と私はそれ以上の追求をしなかった。
食べ方は人それぞれ。
好みも人それぞれ。
彼女や私が食べなくても世界のどこかで違う人が好んで食べている。
私が食べる必要も彼女が食べる必要もないし、他の人が食べないものを私たちが代わりに食べている。
そう考えたら、好き嫌いも個性だと受け止めれる。
だから、好きなものをありがたく楽しく頂こう。
食べることは生きることだ。