ほぼリアタイ伏見(水無月)
⚠️注意
これは史実ではありませんし事実として書いたものでもありません。
徳川と鳥居元忠好きが持っている本や知識を総動員して、1600年の伏見籠城戦について記述のあるものを時系列っぽく、個人の偏見に基づいてまとめたものであります。
誤解される方もいないとは思いますが念のため。
水無月
十六日
家康、大坂城西の丸にて諸人と謁見、渡辺守綱に南蛮甲冑を下賜する。
佐野綱正を大坂城西の丸の留守居とする。
軍を率いて大坂を発す。
家康、夜に伏見城に入る。
元忠、御供の人々へ牡丹餅と煎茶を出す。
元忠、足のため杖を許される。
用意した牡丹餅は多量のため翌日に至っても余りあるほどだったという。
十七日
家康、伏見にて菊亭晴季、烏丸親子ら堂上衆と対面する
家康、鳥居元忠・内藤家長・松平家忠・松平近正を伏見城の留守居、安藤定次を目付に命ず。
夜、家康と元忠、最期の会食
十八日
家康、辰の上刻(午前7時40分頃)伏見を出発する
家康、巳の刻(正午前)醍醐寺を通過。
大津城にて昼食を取る。
家康、近江石部に泊まる予定であったが亥の刻(午後9時~11時頃)石部を立つ
十八日〜十九日
家康、夜半に水口を過ぎて夜明け頃伊勢の関に泊まる
十九日
家康、土山にて昼休憩を取る
関地蔵に大駕籠を止める
十九日以降
この頃近江の家康領代官 岩間兵庫・深尾清十郎・石部小一郎(内藤元長)・笹山彦十郎・平岡弥左衛門ら、甲賀の忍び五、六十人を率いて伏見に至り籠城を請う。
二十日
家康、伊勢四日市に到着
家康、夜に海路を取り三河へ向かう
二十一日
家康、伊勢四日市から渡海して三河佐久島に着く
吉田城に寄る
田中吉政の饗応を受ける
二十二日
家康、三河吉田に着き池田輝政の饗応を受ける
遠州白須賀に泊まる
二十三日
家康、浜松城で堀尾忠氏の饗応を受ける
中泉に泊まる
二十四日
家康、夕方島田に着く
島田に泊まる
二十五日
家康、駿府城二の丸に入り横田内膳の家にて饗応を受ける
家康、 清見寺に泊まる
二十六日
家康、三枚橋に入る
正信、忠隣江戸より迎えに来る
家康、三島駅に泊まる
二十七日
家康、小田原城に着く
忠隣より饗応を受ける
二十八日
家康、藤沢宿に着く
藤沢に泊まる
二十九日
家康、江之島弁財天・相模鶴ヶ岡八幡宮に参詣する