北海道に行って地底人と戦ってきてくれと言ったのを阿弖流為Aとしよう。ぶどう寺に行って欲しいと言ったのを阿弖流為Bとしよう。次に現れたのは阿弖流為Cだ。会津若松に行けと言う。

 私は両親どっちを辿ってもバリバリの長州だ。まだ、私が子供のころ、親戚の集まりに行くと、
「絶対、会津の男と結婚しちゃだめだ。死ぬまで虐められる」
と繰り返し言われてきた。会津ってどんな所なのか?会津の人は鬼なのか?と子供心に震えあがっていた。しかし、大人になるにつれて、大きなクエスチョンマークが頭に広がるようになってきた。

「どっちがイジメたの?」

 戦争なんだから、どっちがいい悪いはない。戦争で幸せになる人なんかいない。とっても因縁のある敵地、会津に私は何をしに行くのだろう。行かねばならないのだろう。

 そんな折も折、地域のボランティアグループの人がバスツアーを企画するから、会津に行かないかと誘われた。会長さんが会津のころり三観音に参拝したいらしいのだ。
「ピンピンコロリをお願い出来るお寺があるそうなんだ。3つ回れば間違いないらしい」
と会長さんは鼻息が荒い。最近、グループの中心だった方が、二人立て続けに癌で苦しみながら亡くなった。それが、彼を追い詰めたらしい。

 しかも副会長さんが女性で、女性の参加者が彼女しか居ないらしく、それも困るから、どうしても参加してくれと頼まれた。面倒だなと思ったけど、仕方がないから行くことにした。

 遂に、会津に行く日が来たと思うと、胃に穴が空きそうになった。ストレスフルだった。お腹が痛すぎて眠れなくなった。
 
 ころり三観音は、三者三葉、どれも個性があった。鳥追観音のご住職が
「口を酸っぱくして言いますけど、ころり寺に詣でたからと言って、すぐコロリといくわけじゃないんです。あなたの寿命を健康に生ききって、最後に苦しまずにコロリと亡くなるということです」
と大きな声で説明してくれる。鳥追観音は東の入り口から入り、右手90度にある観音様を参拝し、西の出口から出ていく。東から西に移動するので、西は浄土、天国があるという設計だ。参拝するだけで、ぴんぴんコロリ、天国行、間違いないしというわけだ。
 二つ目の中田観音はちょい地味だ。野口英世の母親が足繁く参ったところだそうだ。抱きつくとご利益のある柱があり、観光客が列になって、お願いごとを言いながら順番に抱きついていく。
 三つ目の立木観音が、凄かった。天井から吊るされた布の奥に十一面千手観音がいらしゃる。立木の状態から彫刻された、我が国最大の高さを誇る木像だ。これを見れただけでも大満足だ。ここにもだきつき柱があり、抱きついておく。

 私はピンピンコロリをお願いに来たわけじゃない。長州が会津をイジメたことを、子孫として謝りにきたのだ。具体的に何をしたかは正直分からない。でも謝らないといけないことは分かる。学校でいじめた子が先生に付き添われて、いじめられた子の家に謝りに行く感じだ。阿弖流為Cが付き添ってくれて、謝りに行くということだ。自分の先祖が私に遺伝子として乗っている以上、謝るしかない。とてもとても居心地が悪い。謝ったって、許してくれるとは限らない。仕返しされるかもしれない。謝るのって難しい。

 会津市内に宿を取ったので、夕陽が沈むような時間に私は出かける。鶴ヶ城に行くのだ。皆は飲みに行くらしかったが、私はそれどころではない。何が何でも鶴ヶ城に行かねばならない。5時に閉園するので入れないのは分かってる。それでも行かねばならない。バスも、もう無いし、タクシーも居ない。暮れなずむ道をトボトボ歩いていく。
 私の中にいる遺伝子の中にいる先祖が、ぽつぽつ話始める。こうやって夜に行軍したこともあったようだ。攻め込まれるほうも辛いけど、遠路はるばるやってきて攻め込むのも辛い。自分も死ぬかもしれない。ひしひしと不安が押し寄せる。夜の城は何も見えない。真っ暗な中、クリスマスツリーのライトのようなものを紐と首に付けてキラキラした犬が近づいてくる。飼い主もピンクの派手な服を着ている。ずっと人を見かけなったので、つい声をかけてしまう。
「鶴ヶ城に行きたいのですが・・」
と言うと、
「もう、そこだけど、真っ暗よ・・・危ないから一緒に行くわ」
と言って、一緒に歩いてくれた。キラキラ光る犬と一緒なことで、少なくとも車に轢かれなくなった。二人で黙々と歩き、城の入り口から、城を見上げた。もう、こみ上げてくるものが止められなかった。声をあげて泣く私の背中をさすってくれた。会津に謝りに来たんですと、言えないまま泣いていると、ピンクの服の人が、穏やかな声で、
「もう、暗いから帰りなさい。幹線道路は明るいから、そこまで送っていってあげる」
と言って、連れて行ってくれた。幹線道路について、私だけ横断歩道を渡り、振り返って、キラキラした犬と飼い主に深々と頭を下げた。向こうは、大きく手を振ってくれた。
 許してくれとは言わないが、謝ることも出来なかった自分が不甲斐なかった。卑怯な人間な気がした。そして、とてもとても怖かった。

 翌日、伊佐須美神社に行った。穏やかな神主さんが、会津への愛を語ってくれた。他の人が御朱印などで散り散りになった後、神主さんに、話かけてみた。
「私は、先祖が長州で、会津の方に子孫として謝りに来ました。何をしたらいいのでしょう?」
と聞くと、神主さんは穏やかに微笑んで、
「もう、誰もね、そんなことは気にしてませんよ。お互いに、いろいろ歩み寄る努力をし続けています。あなたも、また、来て下さい」
と言ってくれた。許したとは言ってくれてない。許すのは難しいのだと思う。謝るのも難しい。諦めずに努力し続けようと思う。

 帰りのバスで、阿弖流為Cさんと話ながら、謝罪の難しさを噛みしめる。すると、なんと、私の遺伝子に乗っている先祖が、口を尖らせて、反論してくる。
「長州は江戸時代は大変な思いをしてきたんだよ。あいつらは良い思いしてきたんだよ」

 そうかもしれない。お互いさまなところもあったりするのかもしれない。でも、1つ1つ、これは悪かった、ごめんね、と謝っていかないと、絡んでしまった糸はほどいていけない。

 立木観音には坂上田村麻呂の像もあった。阿弖流為Cは、暫く、その前に立っていた。
「坂上田村麻呂との話をしてくれませんか?」
と聞くと、阿弖流為Cはニコッと笑って、何も話してくれなかった。


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