2020年のわたしの選択
2020年は特別な年だった。
……のだろうか?
私個人だけのことを言えば、いつもより少し静かで、いつもより少しゆるやかな時間が多かった一年だった。
穏やかな時間がおとずれることなく、混乱の中に居続けた方がたくさんいることも、わかっているつもりだ。
2020年に限らず、立場が違えば見える世界がそれぞれ違う。
違うことに対して、お互いに「そういうものだよね」と無言の了承があったように思う。
ただ、2020年に限っては、より寄り添った発言や行動がより求められたのかもしれない。
どこに、誰に、寄り添って行動し続ければよいのか?
「その選択は、正しいのか?」が、常に問われた一年だったように思う。
正しさとはなんなのか、どこにあるのかと、考えた一年でもある。
この社会は、生きる人たちの個々の選択によって成り立っている。
もっと言えば、これまでに生きてきた人たちの選択によって成り立っているのかもしれない。
医療の道を選択し、医療に携わり続けることを選択した人たちがいるから、私がいる世界には、病院があり治療が受けられる。守ってくれている人がいることを、ひしひしと感じる。
医療だけではない。
物流、教育、科学、芸術、音楽、出版、作家、食品、農業、漁業、林業、建築、通信……。
あらゆる人たちのあらゆる選択が、私の2020年を支えてくれているのだ。
私の2020年は、今まで私が選択してきた道の先にあるものだった。
仕事も、関係するコミュニティも、2020年より以前の私が繋げてきたものだ。
選択を間違ったかもしれないと、後悔してきたことだってたくさんある。あの時のあの選択、あの時の努力不足、あの時の……と、数えきれないほどに。自分で選択したつもりでも、何かに流されていたこともあったかもしれない。
後悔を考えないように、今最善の選択ができるように。そう考えて生きているつもりでも、何が最善で、何が後悔しない生き方なのかは、わかっていない。
"つもり"でいることが精一杯だ。
2020年の私には、大きな選択は、なかった。
選択すべきものを、2020年の私は持ち合わせていなかった。
流されるままかもしれないが、外出はぐっと減ったし、オンラインでのコミュニケーションはぐんと増えた。
リモートワークという選択肢は、会社が用意してくれたので、流れにのった。
自分の働き方の選択肢を増やすことができた。
何かを始めるための時間は増えたようで、だらだらした時間も増えた。
2019年までの自分に引き続いて、他者との関わり方や、自分の仕事のこと、これからの生き方についてなど、自分のことを考えるだけでも余裕がなくなる。
それでも、前より少し、コミュニティをつくるということや、コミュニティと自分についても考えるようになったかもしれない。
幸いにも健康で、幸いにも仕事の契約は本来の満了日までは達することができた。私の新たな選択は、2021年からだ。
自分が選択するものがないときは、周りにいる人の選択を応援できる余裕はできるのは良かった。
応援なんて気楽な立場でしかないけれど、2020年に大きな選択をした友達の2021年が、笑顔の年であることを心から願っている。
2020年を振り返った時、「あの時のあの選択」というものが自分にないことを、私は恥じるだろうか?
たぶん、大丈夫だ。
選択を迫られるのは、2020年だけではない。
ずっと、何かを選択して生きてきたし、これからも選択し続けていく。
何を想い、何を選んでいくのか、無頓着にならずに生きていきたいと思う。
劇団ノーミーツの「それでも笑えれば」を見たことで、自分の2020年、自分の選択について考える機会を得た。
ノーミーツの旗揚げ公演「門外不出モラトリアム」も選択が違えば未来が違うって話だったな。
現実では、「もしも」の世界を経験することはできないけれど、たくさんのもしもの中から自分が選んできた世界を、誇って生きていけたら最高だなと思う2020年12月31日の夜なのです。