いわゆるセクシャルマイノリティというやつについて

はじめに。
この記事はセクシャルおよびセクシャルマイノリティのことを書いたものです。私はバイセクシャルです。
私なりの考え方を書いていますが、どうにも納得できないことが多いため、わりと批判多めになっています。図らずとも傷ついてしまう方がいるかもしれないと思い、冒頭に記させていただきました。
ご理解いただけた方だけお読みいただけますと幸いです。

冒頭に“私はバイセクシャルです”と書いたが、本当はストレートだと思っている。

戸籍上の性別女性、性自認女性、恋愛対象男性が多めで女性もある。
バイセクシャルの友達に言わせればバイだと言われるけど、自分ではストレートだと自認している。
このあたりは後述していこうと思う。

もう16年も前に遡るが、高校時代とにかく交友関係が広かったのもあってか、セクシャルマイノリティがマイノリティでもない環境にいた。同性愛者もトランスジェンダーも周りにいた。
いわゆるカミングアウトをされても「そうなんだ」程度で、例えるなら血液型と同じ類だと思っていたから、大人になって「LGBTQ+が〜」みたいな話題が大々的にとり上げられている様子に驚いた。
「なんで名前ついてるの!?」って。
「“認める”とか“いてもいい”とか何偉そうなこと言ってるの!?」って。
だれかが認めなくても、許さなくても“いるもの”であってただの事実なのに。
区分分けされていることがショックだった。

正直アライの考え方もあまり好きではない。
意味としては、賛同・応援・味方・支持・支援。そんなところだろうか?
セクマイがなぜこのようなことをされないといけないのだろうか?
なぜあえてアライを名乗らないといけないのだろうか?当たり前じゃないのか?
私は会社で受けたLGBTQ+の研修でアライを知ったのだが、当事者の方が「アライになってください」と仰っていたのでそれならいいじゃないかと思いたいところだが、なんだかしっくりこない。
アライというものが存在するほど世間ではセクマイは認められていないからだと愕然とするからかもしれない。
ちなみにこの研修の内容も私が16歳の時に知ったことばかりが並んでいて、それを良い年したお偉いさんや普通の社会人は今学ぶのかというところにも愕然とした。

LGBTQ+と分けるなら、当てはまらない人はストレート(マジョリティ)であるということだ。
であれば、いわゆるストレートのSもそこに入れるべきだと思う。Sの割合が多いというだけで、わざわざセクマイと分けなくてもいいのでは?というのが私の考え。みんな一緒ならそれでいいでしょ…って書いてたら、いや、そしたら別にみんなストレートじゃんって思い始めてきた。考え出すと難しい。

冒頭で書いたとおり、私はノーマルだ。ただバイセクシャルと言われればそうでもある。なんでもいい。
一人だけ女性と付き合ったことがあるし、女性を好きになることもある。
でも別に女性だから好きになったわけでもないし“その人が好き”なだけであって、特にそのあたりはこだわりがない。
自分に対しても他人に対しても“なんでもいいじゃん”が強すぎて、あらゆる活動や名付けや分類わけに嫌悪感があるのだろう。

“人”を見よう。“性格”を見よう。
“思考”を見よう。“生き様”を見よう。
性別や性的指向なんて一番最後だ。

ところで、私の友達が2丁目のバーで働いているのだが、これが本当に自由で居心地が良い。いわゆるゲイバーではなく、トランスジェンダーが集まるお店。
名前も性別も職業も家柄も捨てて“何者でもない自分”になれるのが最高に気持ち良い。なんというか魂で会話してるイメージ。

ただ、200%二日酔いになるので、休みの前日にしか行けないのがネック。

と、マイノリティーサイレンを聴きながら書いてます。
(わかる方FFになってください!)

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