彩幸

パニック障害・冬季鬱病・PMDD・発達障害グレーゾーンを抱える30代後半社会人です。 発症から現在に至るまでの経緯を記録。 思い当たる原因や生い立ちなども公開します。 発症⇨寛解⇨再発を経て、どなたかの支えや発見に繋がればという思いで始めました。 よろしくお願いします。

彩幸

パニック障害・冬季鬱病・PMDD・発達障害グレーゾーンを抱える30代後半社会人です。 発症から現在に至るまでの経緯を記録。 思い当たる原因や生い立ちなども公開します。 発症⇨寛解⇨再発を経て、どなたかの支えや発見に繋がればという思いで始めました。 よろしくお願いします。

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はじめに

・パニック障害 ・鬱病 ・PMDD ・(片頭痛) 現在私が抱えている病気である。 初期症状から受診〜現在に至るまで自分の体験を記すことで、主に“自分の状態の整理”として公開させて頂き、それが“どなたかの一歩”になればいいなと思っている。 パニック障害発症から5年が経ち、寛解と再発を経験した今になってやっと自分の状態がわかってきた。 近年、芸能人の公表などで上記の病気が明るみに出てきたことで、一般人の私も周囲の理解が得られやすくなり、仕事も交友関係も概ね難なくこなせている

    • 学校が向いていないだけ

      それ以降、小学校卒業まで大きな問題もなく通い卒業することができた。 ただ、中学校・高校・専門学校・教習所までも綺麗に通えることはなかった。 中学校は一年生の頃に友達関係で不登校の時期があったが、すぐに登校できるようになった。 ただ、片頭痛の発作が一番ひどい時期で良い思い出があまりない。月に一回は発作で倒れて2〜3日寝込んでいたため、そもそも学校を休むことが多かった。 そんななかでもいわゆる不良と呼ばれるグループに属しており、高校卒業まで何度も学校から母が呼び出されたり、警

      • ピカピカの一年生は不登校

        なぜ発症してしまったのか? どこに原因があるのか? なにがいけなかったのか? パニック障害や鬱病になり、人生一から色々なことを考えた。 関係あるかわからないが、私の中でその兆しと思われることを記しておきたい。 子供の頃から心配性で内気な性格だった。 人の悲しみや痛みに敏感で、例えば母が怪我をした時は自分のことのように泣いたし、二歳下の弟が幼稚園に入園した時は心配で泣きながら弟の教室まで見に行った。 自分と他人の感情の境界線が薄い。特にマイナスの感情に移入しやすく、本人は何

        • あなたの鬱はどこから?

          私は結婚生活から! なんてもう開き直ったら勝ち。 「この人生でなにが辛いか?」と聞かれたら「結婚生活」と答える。それ以外に辛いことがない。 だから私の鬱の原因は結婚だと思ったのだ。本当のことはわからないけど。 私の人生なにも間違っていなかった。 家族にも周りの人にも恵まれた。 したいことは自由にしてきた。 自分の決断に後悔をしたことは一度もなかった。 そんな私が唯一失敗したのが “結婚”  だ。 この唯一の失敗が一生の傷となる。 私は結婚している自分が大嫌い。 あ

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        はじめに

          鬱病で休職⇨リハビリ復職

          ①布団から出られない ②家の中を動くことができる ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ③散歩に行ける ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ④スーパーで買い物ができる ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ⑤電車で一駅移動して買い物をして帰る 休職中の行動をパターン化するとこんな感じ。 もちろん①から順番にできるようになるわけではなく、④ができたと思ったら翌日②に戻ったり日によって症状の重さに差がある。 先生から「日光を浴びてください」と言われたため明るい内に外に出ること

          鬱病で休職⇨リハビリ復職

          まさか自分が鬱病に?

          大半の人がそう思うであろう。 私もその一人だった。 2023年11月 冬季鬱病発症 最初に違和感を覚えたのは友人との食事中。 まったく楽しくない。 帰りたいとかつまらないとかいうわけではない。 ただ“自分は今なにをしているんだろう?”と漠然と考えていた記憶がある。この日が最初だったとは思うが正直に言うとあまり覚えていない。 友人との関係性だが付き合いは6年ほど。いわゆる趣味友達で月に一回は食事や観劇などで会っている。推しの話から仕事の話、家族の話なんかもできる大切な

          まさか自分が鬱病に?

          パニック障害⑤ 現在(寛解)

          2023年2月 初診 現在も月に一回通院中。 前回の病院とは違い、カウンセリングから入る診察だった。 カウンセラーさんに生い立ちや家族構成や現在の仕事のことなどを聞かれた。なにに使ったのか、どんな効果があるのかはよくわからない。 その後医師の診察。 やはりパニック障害再発だった。 しかし今回心強かったのが発作が起きた時に飲む頓服薬を処方してもらえたことだ。 「脳のバグを1分以内に制御する薬です」 これこれこれ!!こういうのがほしかったんです!!と思わず言ってしまっ

          パニック障害⑤ 現在(寛解)

          パニック障害④ 第二ラウンド開始

          心療内科に通い始めて薬の効果が安定してからは、一ヶ月に一回通院していた。 約一年十ヶ月ほど通ったところで、次のステップに進むために減薬を始めた。 毎日一錠飲んでいた抗不安薬を半錠に減らし、それが二日に一回になり、やがて飲まなくても安定するようになった。 減薬開始から三ヶ月程かけて安定剤から卒業。 途中から「もう飲まなくても大丈夫」と思ってはいたが、お守りのような感覚で持っていた。 完全に通院及び服薬が終わったキッカケは、とある診察日に担当の先生が不在で他の先生に診察を

          パニック障害④ 第二ラウンド開始

          パニック障害③ 生活上での変化

          私の最大の問題は電車だった。 当時の勤務先は自宅最寄駅から急行に乗れば20分の距離。乗り換えもなく、とても便利だった。 しかし急行に乗れない。 準急にも乗れない。 とにかく各駅停車しか乗れなくなってしまったのだ。それでも勤務先最寄駅まで各駅停車で40分弱。 まだまだマシなほうだと思っている。 “早めに家を出て各駅停車に乗って、苦しくなったら次の駅で降りて休憩しながら向かえばいい” 休職はせずに、できる限りの手は尽くしてみることにした。 しかしそれでも時間どおりに出社で

          パニック障害③ 生活上での変化

          パニック障害② 心療内科とは?

          「普通だな」 これが心療内科の待合室に初めて一歩踏み込んだ時の感想だ。 そう、普通である。 勝手なイメージで“暴れている人がいる”とか“叫んでいる人がいる”とかそういう場所を想像していた。 内科や眼科となんら変わりがない、普通の待合室だった(精神科だとまた変わるのかもしれない) そしてとにかく待っている人の数が多い。 もちろん予約をしていったが、それでも呼ばれるまで1時間はかかったし、待合室に収まりきらず外の簡易的な待機場で待っている人もいた。 恐らく、普段は仕事をして

          パニック障害② 心療内科とは?

          パニック障害① はじまり

          朝の通勤電車。 車内はそこまで混雑していないが座席は全部埋まっている。 吊り革に掴まり、いつもどおり電車に揺られていた。 すると、何らかのトラブルで電車は緊急停止。 詳細なアナウンスもなく、状況がわからない。 珍しいことではないため、最初は“すぐに動くだろう”と思っていたが、だんだんいつもとは違う感覚が体に表れてくる。 極度の緊張感、腹痛。 心臓の音が身体中に響く。 冷や汗と震えと動悸が止まらず、息の仕方がわからない。 指先がスーッと冷たくなる。 気が狂ってしまいそう

          パニック障害① はじまり