人間関係“卒業”症候群
あらゆるシンドロームが溢れる世の中。
名前をつけちゃえば、カテゴライズしちゃえば、なんとなく気が楽だし許された気になるよね。
「私は◯◯症候群だから」「◯◯キャンセル界隈だし」
便利な言葉だなぁ。
ただ“そうなんだ!じゃあ仕方ないね!”とはならなくて、これらを積極的に宣言する人はちゃんと“そういう人”だと思われる。ネタというかMBTI診断くらいに捉えておきたいところだ。
さて本題の“人間関係卒業症候群”もとい“人間関係リセット症候群”。聞いたことあるな〜程度だったけど、なんとなく該当する気がして調べてみた。
結論、行動はだいたい当てはまるが、それをする心理が違うから私は人間関係リセット症候群ではない。
◆こちら参考にさせていただきました
しかし明らかに私の交友関係は、周りやSNSなどから知る一般的なそれとはかけ離れているなと感じる。
基本的に『今同じ環境にいる人』としか友達関係が続けられない。
例えば学生時代だったら同じ学校、バンドを追いかけていた時代はバンギャ、観劇仲間、アイドル・コンカフェ・俳優おたく仲間…などなど。
もうひとつ、子供ができたらもう別世界の人になる。完全に個人的な考えだが、結婚して子供をもっている人が私の中では最上級人類。私なんかが関わってはいけない世界の人だと思ってしまう。上のステージにいってしまったな、今までありがとうと。
どちらにしても共通するのは、自暴自棄になって関係を切ったり、人間関係に疲れてしまったり、嫌いになってしまったり、ということではまったくないのだ。
今までありがとう、変わらずあなたのことは好きですよ、でも私たちを繋ぐものがなくなったので会う機会もなくなりますね、これからもあなたを影ながら応援しています、という気持ち。
ここが人間関係リセット症候群とは大きく違うところだと思った。
改めて書き出してみるとめちゃくちゃ性格が悪い笑。
しかし悪気は一切ない…けど理解されなくて当然だなぁ。難しい。
どなたか同じ方いらっしゃいますか…?
さて、これはどんな心理で?と聞かれると表現が難しいが“卒業”が一番近いかもしれない。
バンドが解散した、コンカフェに飽きた、地下ドルの推しが脱退して現場に通わなくなった…など。
共通するものがなくなったら基本的に友達も終わり。
現場以外で会ったり、出かけたり、お互いの家に泊まったりもしていたけど、あくまでも共通項ありきの関係。
共通項がなくなってみて初めて“人間として合うか?”“プライベートな話をどこまで本音でできるか?”が試される気がする。おそらくこれらがクリアできれば友達関係も続けられるのではないか?
私は無意識のうちに“相手の中にある自分と合う部分”を強調して付き合う癖がある。紛れもなく自分ではあるけど、その濃度が薄ければ、共通項がなくなった途端に疎遠になりがち。
学校も同じだ。今まで同じ空間で過ごして同じ景色を見て同じことで一喜一憂していたけど、卒業したら別人になってしまう感覚。これも共通項ありきの関係。
学生時代の友達に関しては、みんな家庭があるため自分の結婚コンプレックスが大きいかもしれない。
もちろん表に出さないだけで大変な苦労はあるだろうけど、恋愛して結婚して子供ができてという過程をこなしている時点ですごすぎて怯んでしまう。
物理的に会う時間をとることは難しくなるし、人生ステージが変わってもう私が付き合う対象ではなくなる。今までありがとう、幸せな人生になりますようにと“友達だった人”になる。
悲観的でもなんでもなくて、いわばシステム。
ということで現在の私の友達事情ですが…
月1回程会う友達が2人、年1〜2回会う友達が2人(遠方)、不定期が1人。友達と呼べるような関係性はだいたいこれくらい。
やはりみんな共通項がある人たちだが、もう年齢的にも卒業はしない気がしている。
一番長い人だと15年くらいの付き合いになる(バンドで出会ったがそのまま俳優沼に引きずりこまれたため、結果ずっと同じものを追っている)。
あとは同じ俳優沼にいるが、現場以外で会うことのほうが多く、仕事や家族や今後の人生の話の比率のほうが高いので多分共通項がなくなっても続くだろう。
地元の友達は0。連絡先やSNSも知らない。
帰省しても遊ぶ人はいない。家族に会うために帰る。同窓会なども参加したことがない。
学生ならまだ世界が狭いし学校の中で輪に入れなかったら『世の中に自分の居場所はない』と感じてしまうかもしれない。
でも大人になってまでプライベートで気を遣って人付き合いをする必要はない。
価値観や人生ステージが変われば、つい最近まで気が合っていた友達にある日突然違和感を覚えることも普通だと思う。居心地の悪さを感じながら長く付き合ってもなにも生まれない。その時の自分に合った人と付き合うのが一番人間らしいのではないか?
私は30代後半になってようやく“生涯の友”ができつつある。もうこの先の人生大きな変化はないだろうという算段だ。
徐々に人生の終わり際が固まってきたなと感じる今日この頃。