鬱病で休職⇨リハビリ復職
①布団から出られない
②家の中を動くことができる
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③散歩に行ける
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④スーパーで買い物ができる
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⑤電車で一駅移動して買い物をして帰る
休職中の行動をパターン化するとこんな感じ。
もちろん①から順番にできるようになるわけではなく、④ができたと思ったら翌日②に戻ったり日によって症状の重さに差がある。
先生から「日光を浴びてください」と言われたため明るい内に外に出ることをまずは目標にしたが、これがどんなに高いハードルだったことか…。だから雨の日は言い訳ができてなんだか許された気がした。
だいたい散歩がてらスーパーや薬局で買い物をした翌日は疲れがどっと出て、一日布団で過ごしたりする。
とにかく起き上がるのもお風呂も歯磨きも着替えも重労働すぎる。体が鉛のように重くて起き上がれないのだ。
怠けているだけでは?と思われても仕方ないが、本当に体そのものが鉛になったようで、そこに強い絶望感がぶつかってくる感じ。
前の記事のとおり、私は仮眠・過食の症状があった。実はどちらも元々その傾向があったが、鬱をきっかけに強く症状として表れたというのが正しいところだ。
なにもしていないのに寝ようと思えば何時でも何時間でも寝られてしまう。ソファーに座っていたのに気づいたら眠っていたり、コーヒーを飲みながら眠っていたり。加えて多重夢は今でもよく見る。眠っても眠っても眠った感覚がないし、起きた時が一番疲れているし一番絶望感が強い。
また、過食に関しては空腹の状態になるのが不安だった。なるべく調理せずに食べられるもの、主にお菓子やカップラーメンは必ずストックしていた。
料理は多分していなかった…と思うが、なにを主食としていたかまでは思い出せない。傾向としてはとにかく炭水化物をたくさん食べていた。ストックしておいても残すことができないため、できるだけこまめに買い足すようにしていた。元々食べることが大好きだからこそ、“美味しく”食べることができなくなってしまったのが一番悲しかった。
このような冬季鬱病の特徴である仮眠・過食は、元は冬眠の準備に入る動物的な行動と言われている。
私は生まれてくる生物を間違えた。
こう思い返してみると休職中になにをしていたか断片的には思い出せるが、なにを考えていたか?とかどんな心境だったか?とかはすっかり抜け落ちてしまっている。調べてみるとこれも症状の一つらしい。
前述のとおり、リハビリ復職を始めてからは予定どおり出社ができた。表情を作るのが難しかったためマスクをしていた。
業務としては人と接することはなるべく避けさせてもらった。私の場合、人とコミュニケーションをとることが得意と思われがちで担当業務もそちらに振り切られている。
が、毎回ものすーーーーーーーーごく気を使っている。魂を擦り減らしている。疲れ果てている。そうしていただけている評価なのだといっそのこと言ってしまいたい。
帰りの電車では毎日泣いていた。涙が止まらず途中下車したことも何回もある。
情緒不安定な中、自分の不甲斐なさや気を使ってくれる職場の皆さんへの申し訳なさや仕事に負担をかけてしまっていることやなんで自分は普通に生きられないんだろうという悲しさや…そういうたくさんのぐちゃぐちゃしたものを抱えて、気を張って、仕事をしていたのが一気に抜けて涙となって溢れてきた。
なんとか年内走り抜き、年末年始休暇に突入。
帰省する力があるか不安だったが、自宅でお正月を過ごしたくない気持ちが勝ち帰省した。
自分の家族には病気のことは話さなかった。極端に心配性の母に負担をかけたくなかった。
寛解したら話そうかなぁとはぼんやり考えている。
休暇明け、一月は繁忙期ということもあり通常勤務に戻ることができた。私の場合、体が動くのであれば休むより出社したほうが回復が早いとみた。
この一連の流れやスピード感は今振り返っても正解だったと思う。
私が直接病気のことを話したのは上司二人だけだが、他の方も察してくれていたと思う。
なにも聞かないでいてくれたが、私が自宅で笑顔になれるようにと手紙を添えてプレゼントをくれた部下もいた。私が異動する時に手紙をくれた部下は休職していた時のことにも触れた上で“◯さんが元気ならなんでもいいです。しんどい時はすぐ休んでください”と書いてくれていた。
本当にありがたい。あたたかい。私はこの会社が大好きだ。