あなたの鬱はどこから?
私は結婚生活から!
なんてもう開き直ったら勝ち。
「この人生でなにが辛いか?」と聞かれたら「結婚生活」と答える。それ以外に辛いことがない。
だから私の鬱の原因は結婚だと思ったのだ。本当のことはわからないけど。
私の人生なにも間違っていなかった。
家族にも周りの人にも恵まれた。
したいことは自由にしてきた。
自分の決断に後悔をしたことは一度もなかった。
そんな私が唯一失敗したのが “結婚” だ。
この唯一の失敗が一生の傷となる。
私は結婚している自分が大嫌い。
あまり詳しくは書けないが今も既婚者である。
望まない結婚をし、離婚ができない条件付だから婚姻関係を続けているだけ。状態としては10年以上家庭内別居をしている、というのが一番わかりやすいだろうか。
結婚した時から悲しみしかなかった。
結婚式もずっと悲しかった。辛かった。
10年以上悲しみや怒りや後悔や両親への申し訳なさをぐるぐるとしていて、人に話せるようなことでもないため一人でこれらを処理しようとしていた。間違ったことをした私の罪償だから、周りに散々迷惑をかけてきた罰だからと、自分が決めたことだから、と生きてきた。
年齢を重ねるにつれて先の人生がどんどん怖くなった。
比較的若くして結婚したため、初期は“なんだかんだ言って30歳くらいになれば自然と子供も欲しくなったりするでしょ”と漠然と希望に似たものを抱いていた。
そうしたら“普通の夫婦”になれると思っていた。
まぁ案の定なにも変わることなく、年齢だけが重なっていく。どんどんこの人生に絶望感が乗って重たく重たくなる。
もちろん子供など欲しいと思うことはなかった。
私は子供の頃から“なりたい職業”がなかった。
「大人になったらなにになりたい?」と聞かれると「おかあさん!」と答えていた。
私の将来の夢は母親になること。
それを自らの浅はかな考えと行動で叶えられない人生にしてしまったのだ。
それに気づいたとき、プツン、となにかが切れた。
多分だけど私は子供をもつことを諦めた時から、ポジティブの反対側に落ちてしまったのだと思う。
私のハンドルネーム(って今は言わないですか…?)の“彩幸”“サユキ”と読む。
私が子供につけたかった名前だ。
だれにも言わず、どこでも使わず、未来の我が子のためにとっておいた。
もう子供をもつことは諦めた、と微量の期待をパツンと断ち切って、ハンネとして公開することで私の夢を昇華させたかった。そんな重い使い方をしてnoteさんにはごめんなさいという気持ちもありつつ…笑。
私にとって自分の人生や病状を公開するのはそれだけの決意があった。
幸せで彩られた人生を歩めますように。
大切な人の人生を幸せで彩ることができますように。
来世では彩幸ちゃんのお母さんになれたらいいなと夢見つつ、ひとまずあと20年はなんとか生きてみようと思っている。
本当は50歳まで生きられれば十分だと思っていたから、あと15年ほどだったが姪の誕生によりあっさりと人生を延長することにした。
叔母ライフがとにかく楽しい。そして人生延長しちゃうほど生きる希望になってくれている。
きょうだいには本当に感謝している。私は孫の顔を見せられなかったが、きょうだい達が両親をおじいちゃん・おばあちゃんにしてくれた。
姪が成人するまで、そして両親が生きているうちは生きる。
これが今の私の目標。