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改めて、つらかった時の振り返り。

初めての休職は、思ったよりも長引いている。

私の体調が本格的におかしくなったのは今年に入ってからだ。
それまでの私も、基本的に仕事は嫌いなくせに、いざ仕事となると期待に応えようと必要以上に頑張ってしまうタイプだったため、いつかこうなるのではとは思っていた。
ただ、特に毎日泣きながら働き、プレッシャーで押し潰されそうだったのは、昨年の夏から今年にかけてだったと思う。
実際にどんな状況だったのか、自分のために言語化を行おうと思う。


1. 必要以上に自分で自分に課していた緊張感

昨年の途中から担当する業務が変わった。
それまで入っていたメンバーに対して客先からクレームが入り、交代要員に任命されたためだ。※基本的に客先に派遣or委託として配属される勤務形態

自分も新しい業務を覚えつつ、後輩を育成しながら、お客様との調整も行なう必要があるポジションでの任命だった。
この時、自身をより緊張させたのが、前任者がクレーム終了だったという点である。
普通に仕事をすれば良いと自分に言い聞かせるものの、常に見られているという緊張感や、「少しでも気を抜いたらクレームだ」という思いが、毎日、私の心臓をぎゅーっとしめつけた。

必死にキャッチアップする日々。
納期がある対応のため、わからないことがあればお客様に聞くも、まずは自社内で確認して欲しいとのこと。
契約の関係上、客先の方針はごもっともであるが、自社内にはきちんとナレッジを持つ者がいない。
どうすれば良いのだ。必死に調べ学んだ。
上司にも頼った。
でも、この業務は難しい、自分のキャパを超えている、と常に感じていた。


2. うまくいかない人材育成、それによる自責の念

新たに配属となった後輩は、必要以上に配慮が必要なタイプだったと思う。
一生懸命できるところと苦手なところがはっきりしていた。
業務態度を見る限り、いずれクレームにつながる可能性があると感じた。
上司へ、後輩はこの案件にはレベル感が合わないと思うと伝えたが、上司と一緒であれば上手くこなせている状況のようだった。(上司からの評価はそんな悪くなかったようだ。知らんけど。)
自分の指導方法が悪いのだと思い、後輩がうまく仕事を進めやすいように準備し、試行錯誤しながら対応していた。
それでも、後輩の成長スピードは上がらなかった。
一人立ちしてもらえるようにならないと、業務が本当に回らない。
なかなか育たない後輩を見て苛立つと同時に、自分のことも責めた。
この時、自身の精神負荷はそれまでと比べて2倍3倍となっていたように思う。

3. はじめての業務オンパレード

複雑な案件の担当になった。
わからないことをわかるまで、できないことをできるまで調べて対応した。
年末にかけて佳境に入った。
客先とのミーティングも頻繁にあり、毎朝泣きながら自分の胸に手を当てて「大丈夫。大丈夫。」と言い聞かせながら出社した。(かわいそう)
仕事終わりには、1日どれだけ必死に働いてもうまくいかないことが多く、もうどうすれば良いのかもわからず、業務後には不安で泣き叫ぶことが何度かあった。
それでも、この時はフォローしてくれる上司が2名いたため、まだなんとかなっていた。
いざという時にお客様も助けてくれていた。
でもお客様に助けてもらうと、クレームにつながるのではないかという恐怖心がついて回った。(当時被害妄想がひどすぎて頭おかしかった)

客先業務以外にも、役職についていたため、人事評価の対応やそのほかのメンバーフォロー等もあり、勤務時間が長くなる傾向があった。

4. 四面楚歌

年明けからは環境が変わった。
フォローしてくれていた頼りの2人の上司がいなくなった。
誰にも今までのように助けを求められない状況になった。(人見知り)
正確には、助けを求めても「それくらいどうってことないでしょ。こっちはもっと長時間労働で大変だよ。」と言う雰囲気が、新しい組織にはあったように感じる。(今思うと被害妄想激しいと思うけど当時は本気で感じていた)

そして、すぐに体調不良を感じるようになった。
休む日が出てきた。
病院に行ってみたら、病名がついた。
ストレスコントロールをするよう医師から言われた。
上司に相談すると、じっくり休んだほうが良いと休職を勧められた。
ただし、調整や引き継ぎはしっかり行うよう求められた。
責任者を担っていたため、当たり前のことだった。
そのため、診断書もまだもらわないように言われた。
心はかなりギリギリだった。むしろ超えていた。
新しい上司の指示は的確だったと思う。
自分自身も、短期間の休養では回復しないと思っていたから。

休職に入れる時期は、後任が決まるまで不透明だった。
それなのに、変わってくれる人はなかなか見つからなかった。
ある人はあと数ヶ月頑張れないかと言ってくる。
後任への引き継ぎ、育成も考えるとそれが良いのだと思うが、私はもう限界だった。
今、とてつもなく辛いのだ。
もう消えたい、死にたい。
毎朝思った。

休職に入れる時期がようやく決まったのは、診断から1ヶ月半後のことだった。
後任の選定や引き継ぎ資料の作成も終えた。
スケジュールを組んで資料の説明なども、後任に実施した。
不完全ではあるが、その時の自分ができることは全部やったと思う。

5. 解放 ー 後悔と自己嫌悪

緊張感とある種の恐怖心を持って接していたお客様には、結果的にたくさんお世話になり、困った時はいつも助けてくださった。
一番迷惑をかけたくなかったのに、一番迷惑をかけてしまっていた。
そんな自分がさらに嫌いになった。
もう少し頑張れなかったのかと自分を責めた。
もう少し上手く人を頼れなかったのかと自分の能力不足が恥ずかしくなった。
以前の上司に、「真面目すぎる」と言われていたことを思い出し、この惨めな帰り道は真面目すぎる自分のせいなのだと感じた。

最終出社の日、泣きながら帰った。



上記は数ヶ月前の出来事である。
いまだに昨日のことのようにありありと感じられる。

そして、今のこの休職期間中に、働くことが怖いという気持ちが芽生え、いまだに無くならず、むしろどんどん根を張っている。
残業も月に100時間を超えるような長時間労働があったわけではなかった。
過去には、この時より働いていた時期もあった。
それでも、この時が一番つらかった。

この出来事は誰かが悪いとかでは無く、単に、自分のキャパを超える仕事をし続け、うまく自分の思考をポジティブに持っていけなかった結果なのだと思う。
毎日必死になるくらいじゃないと回らない仕事は、自分には向いていないというだけだった。自分には合わなかったということが、わかったのだ。

では、今後、自分は何をしていくべきか、どういう働き方であれば生きていけるのか。
この先に元気に働けている自分はいるのか。
生き生きと人生を楽しんでいる自分はいるのか。

あるハーバード大学の教授は、「心の不調ほど軽くみられている健康問題はない」と言った。
なるほどと思った。
そして、一番軽く見ているのは、他人ではなく自分自身なのだろうと思う。
自分のことを守れるのは、最終的には自分しかいない。
どうなったって、人のせいにしたって、解決しない。
軽く見ている場合では無いのだ。

いまは、今後何かしらの方法でまた働けるよう、考え方や捉え方を変える訓練(認知行動療法)をしたり、リハビリや運動も少しずつはじめている。
まずは、今できることに焦らず向き合っていきたいと思う。


回復できる日を願い、今日も空を眺めつつ。






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