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命の紙ビギニング 届けるべき未来



1.命の紙


町の片隅にある小さな講演会場。講演者の老人は、もうすぐ80歳を迎えるが、何年も前からその顔を知る者たちにとっては、親しみを込めて「先生」と呼ばれていた。

彼はかつては医師として名を馳せ、AED(自動体外式除細動器)の普及に尽力した人物であり、今でもその活動を続けている。

今日も、その公民館で新たに集まった人々にAEDの使い方、そして心肺蘇生法を教える講演を行うために、この場所に立っていた。

しかし、老人が話す内容には、普段のAEDの講習に加え、少し変わったテーマがあった。

それが「命の紙」というものだ。

「皆さん、この紙、見たことがありますか?」

老人は一枚の紙を取り出し、ゆっくりと見せた。

「これは単なるメモのようなものですが、実は大切な役割があるのです」

その紙は、ただの白い用紙だった。しかし、そこにはこう書かれていた。

『次にこの紙を手にした人が命を救います』

この言葉が書かれた紙は、医療現場において非常に大切な役目を果たすものだと彼は語る。

その瞬間、会場の空気が一変し、誰もが興味深くその話を聞き入った。

2. 妻の思い


老人が「命の紙」を作った理由は、実は非常に個人的なものだった。

数年前、彼は最愛の妻を突然失った。

妻は、病気で倒れた際に心停止を起こし、近くにあったAEDを使って命を救おうとしたが、間に合わなかった。

妻が倒れる瞬間、彼はその場にいなかった。

「もしその時、AEDを使っていれば、もっと早く命を救うことができたのではないか?」と、日々後悔の念に駆られた。

彼はその後悔を乗り越えるために、AEDの普及活動を開始した。

だが、ただの普及活動にとどまらず、彼はその活動にある思いを込めることにした。

「妻の思いを、少しでも多くの人々に届けたい」――そう思った彼は、「命の紙」を作り、誰かがAEDを使用するべきタイミングにその紙が導いてくれるように、という願いを込めて配り始めたのだ。

彼はその紙を、何度も何度も手にしながら、その力を信じるようになった。

最初はただのメモだったその紙が、次第に不思議な力を宿すようになった。

3. 不思議な力の兆し


「命の紙」を手にした人々は、次第にその不思議な力を感じ取るようになった。

例えば、命を救う勇気がないと感じる時、その紙は温かくなる。

手にした瞬間、その紙はまるで心の不安に応じて温かさを放つかのように、温度を変える。

そしてその温かさが、手にした者の勇気を奮い立たせる。これは、まるで妻が天国から送ってくれる励ましのようだった。

さらに、AEDの設置場所に近づくと、命の紙が微かに光り始めるのだ。

あたかも、「ここだよ」とその場所を教えてくれるように、紙の端から光が漏れる。

それは不思議なことに、無意識にAEDの近くに足が向いていくことを示唆しているかのように感じられた。

「もしかしたら、この紙は何かの力を持っているのではないか?」最初は疑念を抱いた者も、次第にその不可解な現象を理解するようになった。

命を救うべき時、その紙に宿る力は確かに何かを伝えようとしているのだ。

4. 命の紙の文字が消える瞬間


だが、この「命の紙」には一つの制限があった。

もし、その紙が必要ない場面で使われることがあれば、文字が消えてしまうのだ。

もし心停止ではない場合や、AEDを使用する必要がない人を目の前にし、その紙を手にしてもメッセージは突然、消える。

「それは、無駄な命の浪費を防ぐための仕組みだと思います」老人は講演でそう語った。

「命の紙は、あくまで『命を救うべき時』に使われるべきものです」

もし、反応があり、普段通りの呼吸をしている人に対してはAEDを使うべきではない。

命の紙がその人物に「必要ない」と告げるように、文字が消えてしまう。

それはまるで、AEDを使うべき状況でないという無言の警告のようだ。

「AEDを使用するのは、心停止が起こっているときに限ります。反応があり、呼吸が正常であれば、使ってはいけません。

AEDは万能ではないのです。

もしその時に誤って使用してしまうと、命を救うどころか、逆に命を危険にさらすことになりかねません」

その教えが、命の紙に込められた本当の意味だった。

紙は、勇気を与えるだけでなく、正しい判断を促すための道標となるのだ。

迷ったときにこそ、この紙が必要な人々に正しい道を示し、次に繋がるべき行動へと導く力を発揮する。

5. 妻の思いと命のバトン


老人は、自分が始めた活動が少しずつ形になっていくのを感じていた。

あの「命の紙」が、ただのメモではなく、たくさんの命を繋げる役割を果たしていることに気づいた時、彼はふと妻のことを思い出した。

「君のために、僕はこの仕事を続けているんだ」と心の中で呟いた。

妻の思いが、この紙に宿り、命を繋げていく力となっている。

もしも、妻が生きていたら、きっと彼女もその力を感じ取っていただろうと思った。

ある日、講演後、若い教師が老人に話しかけてきた。

「先生、AEDを使うことに自信が持てません。実際に使う場面になったら、どうすればいいのか分からなくて…」

老人はその教師を見つめ、しばらく静かにしてから答えた。

「最初は誰でも怖いものだ。でも、もしその時が来たら、あなたが勇気を持って行動することが重要なんです。だからこそ、この『命の紙』を渡します」

老人は、教師に一枚の紙を手渡した。

それは、他の人々にも配られている「命の紙」だった。

その紙には「次にこの紙を手にした人が命を救います」と書かれていた。

「この紙を手にした人は、何かが起こった時に自分の役目を果たし、次に繋げるのです」と老人は語った。

「あなたも、誰かを救う勇気を持ってください」

命のバトン
年月が過ぎ、老人がかつて教えた人々の中で、多くの命が救われていった。

「命の紙」を手にした人々が、迷わずAEDを使い、命を繋げていた。その中には、老人が教えた教師も含まれていた。

ある日、その教師が連絡をくれた。

「先生、実際にAEDを使って命を救いました。あの紙があったから、怖さを乗り越えられたんです」と言って、その教師は涙を浮かべながら感謝の言葉を伝えた。

その報告を受けて、老人は静かに微笑んだ。

「それでいいんだ」と心の中でつぶやいた。

自分の作った「命の紙」が、確かに誰かの命を救った。

無力だと思った自分が、何かを成し遂げた瞬間だった。

老人は、これからも「命の紙」を配り続けることを誓った。

そして、次の世代に命を繋ぐために、ただひたすら歩み続けるのだ。

命の紙には、確かに命を繋げる力がある。

そして、その紙を手にした人々が、次々と命を守る手を差し伸べていく。

その輪は広がり、永遠に続いていく。

老人は心からそう信じていた。

未来は、彼らの手の中に託されたのだ。

#想像していなかった未来

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