ストリートのシャーマンは消えた“コトダマ”を呼び覚ます−春猿火『シャーマニズム』解題
“……消えた言霊 心の銃 今再び台風が来る
前世 来世 もう一度君を呼び覚ます
目覚めるのだ 仮の世界より
大好きだよ だから二度と私を離さないで
この心臓を半分こしよう
私の鼓動をあげる
覚醒しよう シャーマニズム”
2021年8月27日、東京・有楽町の「ヒューリックホール東京」にて、春猿火ちゃんの1stワンマンライブ『シャーマニズム』が有観客開催されました。
私は配信にて視聴したのですが、ライブ全体を通して表現されていたと感じるもの、思い浮かんだものを以下に書き留めておきたいと思います。
バーチャルラップシンガーはストリートに存在する
冒頭、立ち並ぶ標識と車止めゲート、そして公衆電話。屋外、「ストリート」が今回の舞台です。
フェンスに囲まれた空間に、「幣」のように紙が括り付けられ、標識には「出口」を表すピクトグラムに斜線が引かれています。「脱出不可能」を意味するのでしょうか。
この場所がクローズドな空間であることが強烈なビジュアルとして示され、また呪術的な「結界」のニュアンスも感じます。
神椿のライブにおいては毎回、魔女たち各々の世界観がそこに表現されますが、花譜の「魔法・ファンタジー」、理芽の「サイバーパンクとロマンス」とはまた異なる新機軸の春猿火のライブ表象が冒頭から印象付けられました。
「ストリートカルチャー」では仲間意識が重視され、「気の合うやつ」を「クルー」や「スクワッド」などと呼び合う文化があるといいます。ライブ前半では、彼女は同じ神椿の「仲間」であるMistumi、Guiano、大沼パセリ、カンザキイオリの楽曲をカバーしています。そしてバーチャルガールズデュオ「KMNZ」や、ラップアーティスト「さなり」とのセッション、ヰ世界情緒との新曲「牢獄」ではラップ作詞を「BOOGEY VOXX」が担当していました。
春猿火の「バーチャルラップシンガー」としての文脈における繋がりを意識したコラボレーションは、境界(boundary)を越えてまさに“リアル・バーチャル・関係性ない”、“セツゾク・ツナガル・関係性”が体現されていました。
九紋龍・居場所・令和のシャーマニズム
後半戦、彼女の右腕のタトゥーが赤く光り、マリオネットのように中空に浮かび上がる身体。意識を喪失した彼女の顔面に「猿の面」が降臨し、重なりました。
「脱魂」、そして「憑依」によりシャーマンとなった春猿火。「猿の面」は彼女のプロデュース・マネジメントを務めた耐諷さんを意識したものだと後に明かされました。「変身」した彼女はふたりの言葉と魂が重ね合わせられた存在だといえます。
“皆さんには、自分の一部になっていた曲はありますか?”
だから、この言葉は、彼女の言葉であり、耐諷さんの言葉でもありました。まさに口寄せする巫者さながらです。
猿の面といえば、日本の伝統芸能である狂言において「小猿の面」は、初舞台を踏む若者が「靭猿」を演じる際のものです。能楽では「面をかける」という行為は、神霊や怨霊など「超越的存在」への変身を意味するといいます。
そして、新衣装「九紋龍」について。春猿火の「変身」は右肩のタトゥーから展開しました。
『水滸伝』には刺青をした登場人物が多数いますが、中でも“九紋竜”史進と称された人物は日本で有名です。浮世絵や歌舞伎などの題材とされるなど、「江戸っ子」たちにそのキャラクターが好まれ、現代においても社会のアウトサイドに生きる方たちの和彫りのモチーフとして人気だといいます。
また、新衣装の手足のデザインである手甲、脚絆はトラッドな日本の旅姿という風情ですが、白い装束となると、ともすれば死出の旅姿、死装束であり、あるいは「修験者」の霊的なニュアンスも重なるように感じます。
そして今回、「目」で始まり「眼」で終わるというセットリストに強調されていましたが、彼女の目が覆い隠されていることや「心眼」という言葉からは、イタコのような盲目の霊媒師の存在が連想されます。
猿の面が取り払われると、その頭部の羽飾りはネイティヴアメリカンや南米先住民の民族衣装を彷彿とし、あるいは「ヒッピー」のスタイルを連想させます。
ヒッピーはかつてベトナム反戦運動や公民権運動などをきっかけに社会や政治に反抗する若者たちが新たな「居場所」としてのコミューンを求めたムーブメントで、自然への回帰を標榜しネイティヴアメリカンのビジュアルを「ファッション」として取り込んでいます。
虹色にゆらめく春ちゃんの姿が配信コメント欄にて「ゲーミング春猿火」と称されていましたが、これはシャーマンの「トランス状態」の表現にも見えます。深入りしませんが、ヒッピーと「サイケデリック」にも確かに文脈的に結びつきがあります。
どこかに「居場所」を求めて彷徨う弱き「少数民族」的存在として、江戸のやくざ者もアメリカのストリートギャングもヒッピーも、あるいは現代日本の引きこもりも、概念的には繋がっていて、「反抗する弱者」のブリコラージュ(寄せ集め)としての「春猿火」という表象が、この「九紋龍」という新たな姿に投影されているのかもしれません。
“研ぎ澄ました 見つけた 其処が居場所だ
君の居場所 僕らの声と 音に刻んだ 覚醒の言葉を”-「覚醒 feat. さなり」
“私とみんなの居場所がここにあるように
あたりまえの居場所がここに帰ってくるように
そう、願っています”
“最初は強い存在を演じていた”という彼女は、自らの内面を「泣き虫」であると自覚しており、「春猿火」を演じ、「春猿火」として歌うことで本来の自分を超えた強い存在へと変身できた、と語ります。アバターを纏うことによる自己超克と、新たな「居場所」の獲得。神椿的にいえば「可能性の拡張」ですが、これこそまさに現代のシャーマニズムだと感じられます。
“私にとってこの歌が 歌を歌うことが
春猿火の魂と私自身の魂を一つにさせる
勇気を手に入れるための祈り
それがシャーマニズム”
また、強調しておきたいのは、人類学において「シャーマン」は、単にスピリチュアルな能力を持つ超人を意味しないという事です。
呪術的な行為によって、「人々の抱える悩みや病の苦しみを救済する職能者」であるという側面にこそ重点があり、その「強さ」で「弱さ」に寄り添うのです。きっと彼女も、このライブを通じてそんな存在となりえたのではないでしょうか。
消えた“コトダマ”を呼び覚ます
“生まれることが出来なかった もうひとりの私
閉じ籠るばかりだった たったひとりの私
ひとりでは出会えなかった 本当の私
すべての魂をおおう殻を 言霊で撃ち抜こう”
ライブ終盤において、“なるはずだった「魂」になれなかった”という、春猿火のルーツに至る重大な告白が彼女自身の口から語られました。
そしてライブ後にPIEDPIPERさんの投稿した上掲の記事。かつて「魂」をキャラクターたちに迎え入れることができないまま解散してしまった「KOTODAMA TRIBE」から神椿へと、その「魂」が引き継がれる形で「春猿火」という現在の彼女の存在が生まれたという経緯が初めて明言されました。
“もう二度と逢えやしないけど 絶えず私と進んでほしい”。「もうひとりの私」と歩む曲、として歌われた新曲「テラ」の歌詞が切なく刺さります。
そして、この取り留めのない文章のおしまいに、ひとりの子を紹介して締めくくりたいと思います。
「KOTOTODAMA TRIBE」のキャラクター7人(+1人)のうちセンターポジションを飾る、この子の名前は“TERRA”といいます。
セットリスト
INTRODUCTION -目-
逆転
猛進
Lift up
オオゴト
青春(新曲)
FAKE(Mitsumi Cover)
晴れるなら(Guiano Cover)
Lonely(大沼パセリ Cover)
命に嫌われている(カンザキイオリ Cover)
3D‐Three Dimension(KMNZ×春猿火)
台風の眼
哀愁さえも仲間
覚醒 feat. さなり
祭壇 feat. ヰ世界情緒
牢獄 feat. ヰ世界情緒(新曲)
―纏 其の特「九紋龍」―
百花繚乱(新曲)
告げ口
テラ(新曲)
居場所
OUTRODUCTION -眼-