見出し画像

universe25の疑念点

universe25という実験がある。ネズミに楽園を与えたが、25回実験を繰り返しても、25回全てが全滅という結果になった。

しかしこれは人間社会に当てはめることはできないと思う。
格差があるのは共通しているが、そもそも人間社会の自然な状態が楽園だろうが、ネズミ社会のデフォルトは楽園ではない。
実験の楽園というものは、大きいシステムの力があって形成されるものだ。
システムという力は、人間社会にとっては自然な状態でも、ネズミ社会にとっては不自然な状態だと思う。
エサが無限にあるという状態ひとつをとってもそうだ。こんなシステムはネズミ社会にとって不自然でしかない。

これらを根拠に、この実験は前提としてズレている気がする。人間とネズミの習性を混ぜこぜにしてしまっているということだ。
人間の基準をネズミに当てはめて結論を出すのは短絡的ではないか?

確かにネズミの行動は、人間の行動にも置き換えられる。格差に関しても、それは人間社会にもあることだ。
エサが無限にあることで、オスの闘争心がなくなり、逆にメスが凶暴化する状態は、人間に置き換えると、女性の労働参入ではないだろうか。
そしてその凶暴化したメスが子供にまで牙を剥く状態は、人間でいうところの虐待に相当するのではないか。
しかし人間の社会は、システムの力が働くのがデフォルトなので、虐待が起こった場合、児童相談所や警察などといったシステムが介入するため、子供を守ることができる。しかしこのシステムたちが存在するのは、人間社会において自然な状態なのだ。
ネズミ社会にはないが、無いことでネズミ社会が混乱するということもない。ネズミ社会にとって、そんな役割システムは無いのが自然な状態なのだから。

そもそもネズミ社会に介入させるシステムが中途半端という見方もできる。

出られない箱庭の中で人工的に管理するという時点で、ネズミにとっては不自然な状態なのだが、そのうえエサだけを無限に与えるというシステムだけが働いているだけで、凶暴化したメスネズミが虐待を行った際のシステムはないのが中途半端だと感じた。事実死亡率が上がったのは、凶暴化したメスネズミたちが子供を殺しているからだ。子供が減れば当然種は滅ぶ。当たり前の話だ。
なので絶滅を回避するためには、逃げ場のない箱庭の中で無尽蔵のエサだけをやる中途半端な介入だけではなく、子殺しを防ぐ介入もしなくてはならない。
ネズミ児童相談所システムを介入させるのだ。

実験の段階で原因は解明できているのなら、あとはシステムを作るだけでいいハズだ。

元も子もないが、そもそも人間がネズミ社会に介入した時点で、得られるものはないと思う。なぜならネズミはシステムがない状態で放り出しても生き残れるし、繁栄するのだから。それがそもそも自然な状態なのだから。

実験をするより、ありのままのネズミ社会を研究するべきではないか。

universe25は、中途半端な管理と言った方が正しいだろう。実験ではない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?