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適者生存

今強いヤツが正しいのか。

肉体的に強いヤツが正しいのか。

確かに今強い人は正しい。

肉体的に強い人は条件を同じにして殴り合いをすれば最強になる。

今強い人は《今》《そのルールにおいて》強いだけだし、社会生活において同じ条件で殴り合うシチュエーションになることは無い。
同意がないと同じ土俵に立てないのだ。
時代が変わればルールが変わる。ルールが変われば強さの定義が変わる。

銃火器は頭脳から生まれた。
肉体的な強さでは銃に勝てない。
この歴史で見れば、頭脳が肉体を凌駕したと言ってもいい。

しかしやはりこれは時代によるのだ。
道具が発達していない時代であるほど直接的な肉体力が強くなる。

肉体が強い時代は肉体を鍛える。
銃火器が強い時代は勉学に励む。
そういう風に適者生存する努力ができる奴が生き残る。

本人が肉体に存在理由を感じ、肉弾戦にこだわると時代に取り残されて終わりだ。

世界大戦になった時、肉弾戦を挑んだ人間はいなかったのだから。

それは戦争以外でもそうた。
車、パソコン、スマホ、ドローン、AI、ヒットボックス……

ついていけない、頑なに拒む人間は置いていかれるだけ。

時代が変わればルールが変わる。ルールが変わるのなら、そのルールに従うしかない。

柔軟に対応出来る人が最終的に勝つ。


体罰はひと昔前、正義だった。今は大問題だ。
適応できない人間は犯罪者になる。自分は変わっていなくても、時代は変わっていく

飲酒運転は以前、そこまで厳罰にならなかった。しかし悲惨な事件が相次いだことにより今は即免許取り消しの犯罪者だ。
ルールが変わるなら、自分も柔軟に変化していかなければいけない。

まあどんな時代でも適応できる個人なんて究極生命体カーズじゃない限りいない。
文武両道を極めることができたとしても、芸能までは極められない。個人の力では限界がある。

今ある《こだわり》や《信念》
それはいつか足枷になる。

「CDに握手券をつけるなんて」
「AIに声優の仕事をさせるなんて」
「ゲームにMODを入れるなんて」
「人を蹴落として出世するなんて」
「タトゥーを入れるなんて」

他にも深層心理でこだわっている先入観や固定観念が絶対ある。

新しいルールが出てきた時はなるべく早めに受け入れて、一刻も早く適応したいと思う。


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