習慣化をしなくなった理由
《ゲームの練習を毎日しよう》とした。
習慣にすることで、成長し、将来への投資をしようとしたのだ。
毎日、コツコツと。
ある時DVDを見るため、ゲーム機にディスクを突っ込んだ。
見終わってディスクを取り出そうとした。
・・・・・・
出てこない。
いくらディスク取り出しボタンを押しても、再起動しても、最終的には公式サイトの緊急対処法を試しても出てこないのだ。
壊れた
いや、百歩譲って本体はいい。だけどDVDは借り物なんだ。
ディスクに傷がつくことを承知で、取り出し口にドライバーを突っ込んだ。
出てきた
よかった〜
😌𓈒𓏸ヽ(;▽;)ノ
非合法の方法だから、出てこなくてもおかしくなかった。たまたまPS4の気分が良くなって、許可してくれただけだ。
僕はこの経験から将来の計画なんて何の意味もないと感じた。大袈裟かもしれないけど。
たまたま調子悪くなったのがゲーム機だったというだけだが、これが自分の体だったらどうだろうか。
交通事故・・・
脳梗塞・・・
事件被害・・・
想定外の突発的なトラブルなんていくらでも転がっている。
将来の計画なんて水の泡だ。
計画をたてるなとは言わない。だけど余白を持ってたてよう。
〜までに○○を△△して・・・
○○は〜まで△△しておく。ここは絶対△△──────
計画の内容が細ければ細かいほど狂った時が痛い。
逆に計画が計画ともとれないくらい大雑把だと、予定が狂っても大して痛手にはならない。
AK47という銃がある。
この銃はとにかく壊れにくい
砂が入ろうと泥水が入ろうと、何事もなかったように機能する。
AKが壊れにくい理由は、隙間があるゆとりを持った構造をしているからだ。
単純に構造がシンプルなので素人にも扱いやすい。
これは人間の心にも応用できそうだ。ゆとりをもって生きることで、トラブルがあっても柔軟に軌道修正できるし、不安にもならない。
こだわりがあると視野狭窄にもなるし、何より人生が減点方式になる。
みんなもAKになろう(* 'ᵕ' )☆