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努力できるのは才能じゃない、
「努力できるのも才能」
というのはよく聞く言葉だ。
でも僕はそう思わない。
結果さえ出ると分かればみんな頑張れる
でも現実において結果が出にくい人と出やすい人がいる。だからやる気にも差が出ると思っている。
結局出るならみんな頑張るよ。
noteでいったら、投稿する度に《スキ》されたり、フォロワーが増えたら、そりゃ努力できますわ。
しかしいくら投稿してもフォロワーが増えない、《スキ》がてんでつかないなんて人はザラにいる。
そういう状況で努力できるのは、才能がどうとかいう問題じゃない。
作品を投稿するとして、同じ人間でもめちゃくちゃな数褒められるのと、アンチコメントはおろか視聴数すらないのとでは、活動においてのやる気に差が出るのは当然だ。
いま僕が活動するにあたって、noteに対してはやる気がある。
一定数《スキ》されるし、フォロワーも少しずつだが増えていっているので楽しい。
しかし他の小説サイトはほぼ反応が返ってこない。
頑張ろうが考えようが工夫しようが反応が変わる実感がわかない。
独り言とほぼ変わらないので、投稿するのがアホらしくなってくる。
見られもしないのに頑張るのは無駄でしかない、と、どうしても思ってしまう。
noteも全く《スキ》されず、いくら投稿しようがフォロワーも全く増えないなら、もう辞めていた。
努力できるのは才能というより、環境だと思う
学生時代、勉強を頑張った。
しかし結果が反映されないことが多かった。
通知表はオール3。
馬鹿らしくなって勉強をやめたが、なんと成績が不動だった。オール3。
つまりやってもやらなくても変わらないと知ったのだ。
本当にアホらしくなった。
その他にも《頑張りが評価されない》《結果が出ない》体験を色々な分野でしまくった。
1回くらいならまあそこまでやる気に影響しないが、何度も続くとやはりどうしてもやる気が無くなる。
成功体験といえばいいのだろうか。
やればできる!
ということが分かれば頑張れる。
そしてより努力する。
より結果が出る…
このスパイラルが理想だが、要領の良し悪しや運の良し悪しで結果が出にくくなることが重なることがある。
そういう成功体験を得られなかった人間達が「努力できるのも才能」と言って卑屈になっているのだろうか。
僕はnoteを努力できたのは才能じゃないと分かっているから、努力している人を才能呼ばわりすることはない。
結果がある程度保証されているから努力できているだけなのだから
小説サイトでランキング上位にいて、継続的に投稿できている人もその理屈で言うと、《賞賛》という結果がないと継続できていないだろう。
僕もある程度賞賛されれば、それが原動力になって継続という努力ができる。
断じて言い訳ではない。
だってnoteを継続できているのは賞賛、承認のおかげだから。
もちろん、やっていて楽しいという自分の自己満足意思もあるが、それならばネットに投稿はしない。オフラインのメモ帳アプリにシコシコと書くだけだ。
ネットに投稿している時点で自己満足以外の原動力が必要になっている!
自己満足だけでは継続が難しいために承認や賞賛を目指しているが、一向に鳴かず飛ばず、という状況が長く続いているとして「いつか芽が出る…」という自己催眠だけではやはり限界がくる。
だから夢追い人は見切りをつけるのだ。
やってもやってもオーディションに受からない…
血眼になって勉強しても落ちる…
何年も挑戦しているのに、後輩にあっさり成績を抜かされる…
まとめになるが、今努力できている人は才能でもなんでもない。僕らと変わらないただの凡人だ。
違いは結果を約束されているかどうかの違いなだけ
雇ってもらっているため確実にお金が貰える…
投稿する度にフォロワーが目に見えて増え、賞賛もされる…
投稿すればことごとく賞を獲る…