承認欲求を消したい
承認欲に振り回された人生だったと思う。
何より嫌なのが、自己嫌悪の要素になるのだ。
他人に否定的な評価をされたとして、承認欲求がベースだと、否定的な評価がそのまま自尊心にダイレクトアタックしてくる。
僕は重度知的障害者が羨ましい。多分あの人たちは承認欲求が無い。というか自我があるのかどうかすら分からない。でも幸せそうだ。
重度の発達障害者も羨ましい。彼らは世間の価値観より、自分の価値観と世界観を優先させる。
周りの大多数が評価したり、価値を見出すものに興味を示さず、自分のやる事の方が楽しいと、ひたすら没頭していく。
よく、《人間は他人の価値観を模倣する》というが、それは良し悪しなのだ。自分が良い価値観に染まれないと、ひたすら自己嫌悪に陥るが、重度の発達障害者はそれらに染まらない。超自我の刷り込みが無効なのだ。そうしてひたすら生まれながらの欲求を追求するために没頭する。
もちろん他者からの承認など知ったこっちゃない。
自分の作る世界に高評価がいくら付こうが、日本中から低評価の嵐を浴びようが、没頭の熱量は変わらない。
金を稼ごうとするのも、さらなる研究へ費用投入するためであるし、勉強をするのも自分の世界観を広げるためであり、もっと没頭するためだけである。
結婚するのも本能的な欲求でしかなく、ファンがつくのも社会的地位を確立するのも好きなことに没頭しまくった結果そうなっただけである。人類の進歩に貢献したのも、たまたま本人の没頭対象と世間の需要が一致しただけである。
働くというのは自分の利益のためでもあるだろうが、承認欲求を満たす側面もある。
元いた職場の従業員も「不労所得で一生遊べる金が得られても、週2くらいで働きたい」と言っていたので。社会貢献したいという思いがあるのだろう。これは承認欲と捉えて間違いない。
とにかく脳に偏りが欲しい。承認欲求を司る部分をぶっ壊して欲しい。自己嫌悪になんてなりたくない。
自分だけの世界で、自分だけが自分自身を肯定したい。
誰が自分にどんな評価を下そうが全く影響されず、自分の没頭欲に100%忠実に生きていく。子供より子供だ。子供にも承認欲求はあるので。もはや身勝手に振る舞う幼児だろうか。
周りから見ればクズだが、自分が自分を嫌わなければオールオッケーだ。
所詮人生は自己満足。
誰にどんな評価をされても、揺るがない没頭欲が欲しい。
しかし承認欲求を捨てるのは難しい。強迫観念や罪悪感で、どうしても迎合してしまう。
そういう意味で、脳に偏りのある発達障害者やサイコパスは才能なのだ。
周りにどう思われても気にしないで、自尊心を保てて没頭できる天才だ。