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ニート=悪 なのか?
恥ずかしながら僕はニートだ。そこまで長期間しているわけではないが。
恥ずかしく感じるのは、周りからの刷り込みだろう。
働くことが美徳だというのは、人間の作り上げた主観、幻想である…と、ニートが言っても説得力がない。それくらいの客観視力はある。
しかし自分がニートになって思ったことなのだが、ニートにも色々事情があるのだろう。自分がそうだからだ。
まあ100人ニートがいれば100通りの理由があるのだろうが、自分は渋々だ。
本当は働きたいのだが、能力的に貢献できないうえに、周囲から叱責されたりなどのストレスで、適応障害になるのだ。
そしてこれは幼少期からの積み重ねだったりする。
もっと早く気付いていれば、楽だったかも知れない。
ただ、人は差別するものだ。
他者は人を属性でしか見ない。肩書きや年齢、性別、年収などだ。
それでも差別も肯定も、どのみちその人の一部分しか見ていないでしている行為だ。
その人たちがニートを理解できないというのも、出来ない人間として職場にいた経験があるので分かる。
「なんでできないの?」
「甘えだから」
行動で見せつけても理解されなかった。自分たちはそんなことで悩んだことがないから。
僕で言うところの…なんだろう、吃音症や場面沈黙症、パニック障害や双極性障害などだろうか。
宗教が現代まで脈々と受け継がれて来たのは、悩みが尽きないからだ。
悩みが解決されたなら、精神科も宗教もスピリチュアルも要らない。
しかし一向に無くならないどころか、最先端の精神科ですらプラシーボ効果やマインドフルネスといった、宗教や仏教のエッセンスを取り入れはじめた。時代と逆行しているのだ。
ニートがいるのも理由がある。そしてそれは至極真っ当なものだ。
常に職場に縛られ、常に圧をかけられるより、外出している時だけ属性を極力隠しながら擬態する方が、自分としては楽なのだ。