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《仏教》生苦
仏教は苦しみを肯定してくれる教えです。
仏教というと宗教を連想する人は多いと思います。
宗教というとスピリチュアルな思想で物事を語りますので、現実味が無く、実用性があまりないのですが、仏教は哲学的で人生に応用できる教えがあります。
今回はその代表格である、仏教の基本的な教えのひとつ《生まれる苦しみ》を紹介します。
人生を生きていると辛いことや悲しいことが沢山あると思います。しかし仏教は生まれる時点で苦しみなのだと説きます。
まず生まれる場所や時代は選べません。親や家族、そして自分の容姿や能力、性別だって選べません。
そもそも生まれるかどうかの意思すら確かめてもらっていないのです。反出生主義の方は、この事実に納得がいっていないので、子供は産むべきではないと主張しているのです。確かに筋は通っていると思います。同意をとっていないですからね。無許可です。
というのが仏教において、生まれる時点で人生の苦しみが始まっているという理屈です。
産まれてからは様々な苦しみが待っていますが、そもそも生まれて来なければその苦しみを味わう必要も無かったのです。
苦しみは脳が作ります。
主観ではありますが、本人からすればそれは紛れもない事実なのです。
痛みも本人にしか味わえませんが、本人の脳みそが作る事実ではあります。脳が反応していますからね。
脳が形成されたせいで、我々は苦しみに縛られているとも言えます。
脳からは逃げられませんから。
生きることから解放されるということは、肉体からの解放です。肉体から解放されるということは、苦しみを感させる脳から解放されているということです。
生きている時点で常に苦しんでいるのです。
「いやいや人生には楽しいこともあるよ!」
とポジティブな人は言うと思いますが、実は楽しいことも苦しみのもとになるのですよ。
その理屈はまた別の機会に説明します。
今回は《四苦八苦》のひとつである、生苦について記事を書かせていただきました。