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《こだわり》はキリがない
人間関係ひとつとっても、仲良くしたい人を増やすとなると際限がなくなる。
人なんて無限にいるし。
付き合う人間は選ぶ必要がある。
しかし、求めてしまう時期はあった。
この人とも仲良くしたい⋯
あの人とも親友になりたい⋯
学校において、友達100人できるかを地で行っていたのだ。際限がない。
1人でもボッチでも満足せんかい。
ゲーム
ゲームの環境ひとつとっても、元々はテレビとゲーム機さえあれば良かった。
それが人との会話で他のゲームハードを知ったことで、そのゲームハードを求める。
ネットが主流だと知ることで、ネット環境を求める。
当時の僕は、ネット環境を渇望していた。
思い込みかもしれないが、それが多数派だと感じたからだった。
そのネットで、「やり込み派閥はパソコンでやる」という情報知り、パソコンが欲しくなる。
その後eスポーツという言葉が流行りだし、加えてゲーミングヘッドセットと、ゲーミングチェアが欲しくなる。アーケードコントローラーにも触り心地を求めて、高いものを買った。デスクにまでこだわる始末だ。
最後にはネット速度も速くなって欲しいという欲が出た。有線は必須で、NURO光がベストだろうか。
キリがない。
これ欲求は物理的なものでおさまらない。
精神的なものもあった。
やり込み信仰だ。
ひたすら時間をかけることが良いと思ってしまう。
昔は夢だったが、その時には最早当たり前になったネットで技術も覚えて、レベルが上がってもこの欲求は無くならない。
より良く、より良く⋯
より強く、より強く⋯
理想は無くならない
BGMやカスタマイズにもベストを求める。
最初からそんなものなど幻想なのに、だ。
漫画
ゲームに限ったことではない。
僕はコロコロの賞を知り、漫画原作者を目指していた。 そこからコロコロ連載の漫画家を目指した。
ここでも道具の「より良い」欲が発揮される。一度求めると際限が無くなる。
やたら道具にこだわった。
羽ぼうき、トーン、Gペン⋯とにかくより良い方を求め金をかけた。
まず道具から良くするというのがセオリーだと思っていたからだ。
今考えれば、ネームは専用のネームノートじゃなく、自由帳で全然充分だったし、シャーペンと消しゴムさえあればいいのだが⋯。
そして教材本もやたら買った。コミックスが教科書なのに。
そのうちなぜかジャンプを目指した。
そしてネタには最初から完璧を求めていたので、作る際は楽しくなかった。
最後の方はライトボックスとパソコンを買っていた。
ここまでの話、ゲームや漫画になじみがない人にとっては、はてなマークだろう。日々の生活で、このような話を聞いたことがあると思う。
日常生活
一度生活水準あげると下げられない
というのはよく聞く話。
携帯をスマホにすると、ガラケーには戻れそうもないし、布団からベッドにすると、もう布団には戻れないのだ。
自分にとって、最低限何が必要か見直してみよう。
現状物理的に持ち過ぎているなら、断捨離してみるのもいい。欲求も、周りから刷り込まれているだけかもしれないので、ほしい物リストの整理も必要だ。