不器用は物語を生む
YouTubeで何十年も売れない芸人の取材動画があった。
なんでもその人はその間ずっと《努力》をしているらしい。
努力の内容は《芸人が出ているバラエティ番組を録画して保存している》というものだ。
手動なので、録画中はテレビの前を離れることはできない。
録画をするので、ネタを考える暇はない。録画で忙しいのだ。
そんなことを習慣にしているうちに、映像を録画したディスクは膨大な量になった。
部屋はちょっとしたプロファイリング室だった。
テレビ放送は休まない。
だから録画作業も休めない。
過去に録画し、保存してある映像を観る時間はない。
新しい映像の録画で忙しいから。
YouTubeのコメント欄にもちょこちょこあり、僕も同じことを思っていたのだが
「世にも奇妙な物語みたいだ」
不思議な行動をしている。
しかし本人は本気で、かつ意味があると思ってやっている。そしてそれが最善の方法だと思っていたりする。
しかし他者からは要領が悪く見えたり、奇妙にみえたりする。文字通り奇妙な物語だ。
確かにネタを練るには効率があまりにも悪く、このままでは死ぬまで保存したディスクには手をつけられない。一生消化しきれずにただ肥大化していくのみだ。
しかし僕は思う─────
このルーティーン自体が人生をかけた壮大なネタではないかと。
人間の尊厳を見た気がする。
生とは何か。
笑いとは何か。
そして努力とは何か。
ザ・ノンフィクション
↓本記事の題材となった動画
なんか…録り溜めた映像が事件解決の証拠とかになればいいね。100年後の歴史文化資料とか。
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