河村隆一×西川貴教
出会い
インディーズバンドのライブ。
大阪の対バンだった。
当時河村隆一の髪の毛は床まで伸びていた。DEAD ENDのMorrieの影響を受けていたらしいよ。
DEAD ENDはグッドモーニングサテライトを出して活動休止した。
今でこそDEAD ENDは知名度が低いが、当時はバンドマンに多大な影響を与えていたようだ。《業界では有名》という立ち位置なのだろう。
売れた自覚
地方でお年寄りから握手を求められた時。
97年頃、全国各地でサーフィンをしていた。
その際に河村隆一がトラックを止めていたが、それにおじいさんが苦情を言ってきた。そのおじいさんが河村隆一に気付いた。
終幕の原因
ルーティーンにハマるバンドではなかった
一度動き出すと、色々な人に影響を与える。
「いちばんになりたい!」という欲求だけでやってきたのが、仕事のルーティーンになっていったため、若さゆえの感性で冷めていった。
義務になるとロッカーの価値観が反抗する。
この感覚はよく分からない。ロッカーになったことが無いからだけど。多分予定調和になるのが嫌だったんだと思う。
しかし解散後、2007年1度きりの復活ライブ《ONE NIGHT DEJAVU》のリハーサルで久しぶりに音合わせした時は、「やはりこの組み合わせしかない」と全員が思ったそう。
オープニングはLOVELESSだったのだろうか。僕が知っているのはYouTubeで観たStormだけだけど、確かにグルーブが凄い。
日比谷野外音楽堂の打ち上げで、当時Luis-Maryのボーカルであった西川貴教とLUNA SEAのメンバーが飲んでいたが、真矢はレッスンに行ったり、SUGIZOはギターを変えたりと試行錯誤をしていたらしい。
しかし西川がいざ自分のバンドであるLuis-Maryに戻った時、そういう向上心を感じる話題が全く無いため辟易し、Luis-Maryを見限り、ソロで活動することを決めた。
YouTubeで観れるが、当時から西川貴教は歌が上手かった。しかしトレーニングをしてソロデビュー後、さらに上手くなった。
これは僕も共感出来る。
やはり向上心は大事だ。
僕も経験があるのだが、自分だけやる気がある状態というのはバカバカしくなる。
環境さえ良ければ、もっと楽しくできたかもしれない。
「なんでできないの?」とは思わないが「なんでやらないの?」ということは結構思った。
自分では「面倒くさいから」と理由をつけてやろうとしないくせいに、人がやっていると「俺でもできる」とバカにする。こんな格好の悪い人間がいるか。いた。いたのだ。俺の環境では。やはり人との縁は大事だ。
西川貴教氏は小室ファミリーの系列に加わることが出来たが、出来なかった世界線では、いくら歌が上手くても頭角を出せなかった可能性も十分ある。
河村隆一より先にLUNA SEAのメンバーと出会っていたら、LUNA SEAは西川貴教氏がボーカルだったかもしれない。
そして反対に河村隆一氏がバンドメンバーの向上心の無さに辟易としていた可能性がある。
番組内で本人も言っているが、切磋琢磨できるメンバーと出会っていたら、今でもバンドをやっていたと思うらしい。そして上も目指していたと。しかしそこに至らなかった。結局運なのだ。
悔しさは未だにあるし、河村隆一に対して羨ましさもあったとのこと。
朱に交われば赤くなる。環境で人は変わる。
河村隆一曰く、LUNA SEAのメンバーは未だに向上心が衰えていないらしい。技量にも地位にも満足していない。
魂と職人の部分を混ぜこぜにして頑張っている。
西川貴教もLuis-Maryのメンバーを反面教師にしている。
現状維持ではいけない。常に磨き続けないといけないし、川のように流れていなければいけない。柔軟にしていなければならないと強迫観念のように思うらしい。
その後10年かかってabingdon boys schoolのメンバーを集めた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?