ちょっと江戸の語彙をたずねます。たべものの話です。受験に関係なしです。
たべもの「二八そば」そんな看板を見たことがありますか。
「鴬を聞きながら喰う 藪の そば」
江戸時代には、ソバ一杯が16文だったことからだそうだ。さすが江戸っ子。
「うどんよりわたしゃあなたの蕎麦がいい」
これも娘十六歳の含みがあるような、なるほど面白い。時代により換算相場は違うだろうが4000文で一両、一両は平均約13万円だとすると一文32.5円。520円くらいかな、今と比べてやや高い。江戸時代の安い時期には265円くらいとする資料もある。まあまあですな。明治37年のかけそばは2銭、200円くらい、昭和11年には高崎駅のかけそば10銭という記録が残っている。戦時中の代用食としては公定価格が10銭と決められたそうだ。私の生まれた昭和27年頃は20円だった「そば」。小学生の頃、ラーメン50円、少年サンデー、マガジンという雑誌と同じ値段だったことを覚えている。
「芋は今咽元あたりろくろ首」十三里いも
これも 「栗(九里)より(四里) うまい」の洒落である。
うちよする 客にそばやの いとまなみ 切りし手ぎはの ふとうこそあれ
打ち寄する(波が寄せるように客が多くて)いとまなみ(いとま・暇・なし・形容詞・語幹・み・語幹に接続・~ので・理由・暇も無く忙しいので)切りし(切る・き・過去・連体形)太うこそあれ(ふとし・こそ・已然形・あり・不動ではなく太くなってしまった・不動明王の近くのそば屋で作った作品らしい)
田楽「田楽を あぶらん為の ゐろりとて 先なまかべを つけにけるかな」
(田楽を焙るための囲炉裏といって、まず生の豆腐をつけてしまうように、囲炉裏の周りに土壁を塗ることよ)里芋、こんにゃく、豆腐を串に刺してゆでて味噌を付けて芋田楽として売っていた。「おでん」と言われるようになり、煮込みが行われるようになったらしい。大阪では関東煮、関東炊きと言ったそうです。
陰膳「品川に居るに陰膳三日据え」
陰膳の 白魚もはや 鮭になり おそいことかな おそいことかな
白魚のとれる春から、塩鮭を食べる年末になってしまった。旅行に出た家族がいると、留守を預かる者達は、旅に出た人のために毎日、一人前の食事を作って供える習慣があったそうです。こうすることで旅行中に飢えることが無くなると信じられていた。旅に出る者は戸口を出てからも、長い間、菅笠を掲げ挨拶したと言う。
魚鳥留め「魚鳥留せぬのは甲斐のはかりごと」
せぬ(す・サ変・未然形・ず・連体形)
武家の世界では法事があるときは魚や鳥等を売ることが禁じられました。精進のために生臭物(なまぐさもの)を避けることです。戦国時代、武田側では、信玄の死を隠すために、喪中でも「魚鳥留」をしませんでした。
時雨煮「桑名から 時雨はまぐり もらふとき 徳利の酒も ふりみふらずみ」
時雨はまぐり(名物である蛤のしぐれ煮)徳利の酒も ふりみふらずみ(~み・接尾語・「ず」「動詞連用形」に接続・~したり~したり・降ってみたり降らなかったり・空っぽかどうか振って確かめる)
淡雪豆腐「山かけに つもる豆腐の 淡雪も 春のものとて 腹にたまらず」
山かけに つもる(山陰に積もっている淡雪も・山の芋のとろろのかかっている豆腐も)春のものとて(とて・と言って) 腹にたまらず(春のものであるだけに山の中腹にはもう残っていない・豆腐だけでは腹いっぱいにはならない)
カステラ「かすていら 霞む夕べは 杉折りの 杉間の月も おぼろ饅頭」
かすていら(長崎に輸入されていた) 霞む夕べは(かすんでいる春の夕方は) 杉折りの(杉の薄板で作った菓子を入れる箱) 杉間の月も(杉の間からのぼってきた月) おぼろ饅頭(蒸し上がった後で表皮を剥いて、おぼろ月のようにした饅頭)
おつけ・おみおつけ・御御御付け
飯に添えて、付けて出すところから「おつけ」おみおつけは接頭辞「御」をつけた「おつけ」という言葉をさらに丁寧にして「御御(おみ)」をつけたものが「御御御つけ」(おみおつけ)であるという説と「おみ」は味噌であり、本来は吸い物のことであった「おつけ」に、味噌の意の「おみ」をつけて味噌汁を「おみおつけ」という説があるそうです。ご飯に汁やお茶をかけて食べるお茶漬けを「おつけ」と遊郭では呼んだこともあるようです。
がんもどき「残る葉ものこらずちれや梅もどき」
もどき(模擬、似たもの)がんもどき(もともとは材料は豆腐ではなくコンニャクである。味が雁の肉に似ている)梅もどき(葉や枝ぶりが梅に似ていることから)鰻もどき(すりおろした山芋を鰻の形にし、海苔を貼りつけて甘辛いタレを付けてあぶったもの)
雁風呂・がんぶろ「雁風呂や煙にむせぶ鳥の影」
渡り鳥である雁は海上で羽を休めるために木片をくわえて北方から日本に飛んでくる。春になり北の故郷へ木片をくわえて帰るのだが、たどり着けなかった雁の木片は海岸に打ち上げられる。漁師たちは海岸に落ちていた木片をひろい、それを薪にして焚いた風呂に入りつつ雁の死を悼むそうだ。