歳の取り方イロイロ。
卒業とか入学の時期、とにかく春になるとよくラジオやテレビから流れてくる歌がある。
そのなかでも私の心に引っ掛かる歌のひとつが「手紙~拝啓十五の君へ」だ。
これを聴くたびに冷や汗をかき、ゾッとしながらいろんなことを思い出している。
そのほとんどが後悔ばかりだという情けなさだ。
勉強や部活などもっと頑張ればよかったなどというありがちなことから、
いい大人になってからのあれこれ、つまりいまの行き詰まった事態に対する言い訳じみたことばかりだ。
アンジェラ・アキの声を聴くたびに、
十五ならぬ高校時代の自分に何一つ語れることがないのだとおもいしらされてきた。
むしろ「未来にいいことなんかあんまりないよ。」といってやりたい。
親元を離れたら素晴らしい自由な暮らしが待っているとでも思っているようだが全くなにも期待できないぞ、と。
何か素晴らしいことがあるとしたらいまの自分にはそれを見つけるのは砂浜で砂金を探すようなもんだ。
そして、それ以上のことはなにもない。まあ、せいぜい頑張んなと手紙には書くだろう。
ところが今年は少し違った。
ある日カーラジオからまたぞろアンジェラ・アキの声が。
時刻は夜7時すぎ。
仕事帰りで少しだけ頭にスキマができはじめている頃。
ちょうど時期も時期で満開の桜を白い街頭が照らしているのを何気なくみていた。
いいなぁ、とみほれると同時にアンジェラの品のよいしかし意思の強さを思わせる声に少し希望も感じている自分に気づいた。
今年はなんか違う風に聞こえるな…。
60才と半年が経ったからなのか、
ただのセンチメンタルなのかわからないが高校生の自分に少し良さげなこと言ぅてやれそうよ?てな気持ちになっていた。
闇夜に浮かび上がる桜のたたずまい、
その力強さ。
それをみて美しいと思うこの今は、
ガキのあんたがあきらめず生き残ってくれたおかげかもしれないなぁ。
しかもこの今ってヤツはペラッペラの儚いしろものだけどとてつもなく厚みのある貴重なものなのだよ。
そんな貴重なものを積み上げてる途中なんだよ、あんたは。
そんなふうに手紙を書きたくなって、ホンの少し自分を縛りつけている縄が緩んだ気がした。
でも、桜を後にしたらそんな気づきがもう少し早くに訪れたらよかったのになーと残念な気持ちがわいてきた。
だからこの気づきをいま、あわてて書いている。
高校生の自分、記憶力を誇るんじゃないよ。
あと何年かしたら、なんでもすぐ忘れるからね、たぶん。
https://youtube.com/watch?v=aU9v6J_Kcuw&si=p0oMUixzY83kJ8cZ