制圧の美学
久しぶりにブラジリアン柔術(以下、柔術)について。
柔術は、仕事に活かせる部分や共通する点がとても多く、その内容については過去のブログで紹介しています。
著名な格闘家も引退後は健康を維持するために柔術を続けている人が多くいます。
興味を持った人は、是非、近くの柔術ジムの無料体験へ行ってみましょう。
柔術は、護身術に長けた寝技主体の格闘技で、独自の技術(身体操作&テコの原理など)を駆使し相手を制圧することが可能です。制圧(相手が戦闘不能)するのには、大きく分けて【関節技】と【絞め技】があります。
■関節技
相手の関節を圧迫したり可動域を超えて曲げたりするので、筋肉や靭帯の損傷、脱臼や骨折などが発生します。
技術とタイミングが非常に重要となりますが、体格や力の差があっても効果的に使えるため、小柄な人でも大柄な相手を制圧することができる。そして、技をかけられた方はめちゃくちゃ痛いです。
【代表的な技】
腕ひしぎ十字固め、キムラロック、膝十字固め、ヒールフック、アキレス腱固め、リストロック(手首固め)
■絞め技
相手の首や血管を圧迫して呼吸や脳への血流を制限することで、意識を失わせます。
頸動脈を圧迫する方法と呼吸そのものを制限する方法があり、どちらも迅速に無力化させることができます。
関節技とは異なり、絞め技は適切なタイミングで技を解けば大きな怪我をさせることはなく安全性が高いので、護身術でも競技でも非常に有効です。また、絞め技は比較的短時間(数秒)で相手を制圧することが可能です。
【代表的な技】
三角絞め、フロントチョーク、バックチョーク(裸絞め)、アナコンダチョーク、袖車、肩固め、忍者チョーク
ということで、自分は関節技よりも締め技が好きなのだ。
理由は、関節技は相手に対し怪我のリスクが高くなってしまうから。
逆に自分も怪我をするリスクがあるので、早めのタップ(降参)を心掛けている。
関節を痛めてしまうと怪我の具合にもよるが、長期間柔術が出来なくなるのが途轍もなく辛い。
まぁ怪我しても動ける範囲でジムに行ってしまうのは言うまでもないが。
試合で腕ひしぎ十字固めで負けたことがある。
試合なので『負けたくない』と少しの無理が肘へのダメージと繋がった。むしろ”負けを認められない心の弱さ”の代償である。
その日はアドレナリンが出ているので痛みはないのだが、次の日起きるとめちゃくちゃ肘の関節が痛くて腕の曲げ伸ばしができない。結局、腕の靭帯を痛めてしまってしばらく柔術ができなくなるのはもちろんのこと、日常生活にまで支障が出てしまったことで、怪我とストレスによる心身共にダメージを負ってしまった。
こんな思いをするのも、させるのも嫌なので、絞め技の方が好きなのである。
違う試合で子連れパパと対戦をした時のこと。
結果は、パスガード(3点)⇒ニーオンザベリー(2点)⇒マウントポジション(4点)と9ポイント獲得してから、肩固めという絞め技で勝利した。
チームメイトが撮影してくれた試合動画を見返した時に、対戦相手の子供が「うぁ~ パパが負けちゃうよ~ 負けちゃうよ~」と今にも泣きそうな声で叫んでいた。その声を聞いて、胸が締め付けられるような気持ちになってしまった。と同時に、関節を痛めたり脱臼&骨折した状態ではなく、絞め技で勝利したことは良かったと心底思った。
技が極まってすぐに対戦相手がタップ(降参)してくれたので何事もなく試合は終わったが、相手が無駄に頑張ってしまうと脳への血液を遮断してしまい、落ちて(失神≒意識がなくなる)しまっていただろう。
絞め技で意識がなくなった人間は糸の切れた人形のようにぐったりして、息を吹き返すまで暫く時間を要する。そんな一瞬死んでしまったような姿を家族に見せることにはならず安堵した。
ここまで書いた内容だと、こんな危険な格闘技をして怪我ばかりでしょ?と思われてしまうが、格闘技の中では非常に怪我のリスクが少ない部類に入る。
その理由は、経験者から言わせてもらうと強者(勝者)に”思いやり”があるからです。
ジム内の練習でもスパーリング(試合形式)でも、出稽古でも、試合でも、基本的に相手をぶっ壊してやろうと思っている人はいません。現に7年ほど柔術をしていますが、大きな怪我はない。
自分が通っているジムのボスは世界中の柔術家が集結するワールドマスターというラスベガスで開催された世界大会で、黒帯で惜しくも準優勝した変態的な強さの人ですが、その人に怪我をさせられたことは一度もない。むしろ怪我をさせずにタップを獲りまくる技術の高さが芸術的過ぎて、清々しい敗北感とその技術に感心してしまうほどである。熟練者が格下相手や経験の浅い人に対して、”寄り添うようなカタチ”で成り立っているのである。
さて、仕事関係でこのような人はいないだろうか?
上下関係が明確であり、自分の方が立場が上だと認識している人で
部下や後輩や年下たちが反論や断ることが無いと思っていると、相手の意見を聞くこともなく自分のやりたいように意見を言って、都合の良いように動かそうとする傲慢な人。
さらにタチが悪いのが、思い通りにいかないと不機嫌になったり怒ったり嫌味を言ったり自分の立場を振りかざせば、周囲が気を遣って思い通りに動くと思っているパターン。
ここに、強者の”思いやり”は存在するのでしょうか?
「自分の方が偉いから言うことは絶対だ。だから〇〇をやれ」
「自分が金を出して飲み食いさせてやるから、一緒に飯や飲みに行くぞ」
「昔は〇〇だった&〇〇やってた。〇〇をやったのは俺の功績だ。人脈が凄いんだぞ。」(昔話と自慢話)
日常的なやり取りだとこんなケースがあるだろう。
相手は利害関係があるから仕方なくお付き合いしているのに自分は人格者だから人が集まっていると勘違いしている強者や、誘って断られても何度も誘う強靭なメンタルを持ち合わせており、対等にお付き合いができる仲間がいない寂しがり屋の強者もいます。
また、断られそうだなと思っていると外堀を埋めて断れない状況を作ったり、”お願いするのを”他人に任せたり、面と向かってお願いや伝えることができない気が小さい人もいます。
さて、柔術に話しを戻すと、まずこんなことは起こり得ない。
それは、立ち振る舞いがとても問われているコミュニティだからである。
自分が”勝てるとわかっている弱そうな人ばかり”を相手にしている人を見てどう思われるだろうか?
格下ばかりの相手を完膚なきまでに叩き潰して、悦に入るような人はどう思われるだろうか?
常に優位な立場でないと行動できない人&負けることを恐れている臆病者&傲慢で自己陶酔している人。
というレッテルを貼られるでしょう。
利害関係が存在しないコミュニティなので、そんな奴には人は寄り付かず、自然と淘汰されていくのである。
勝負の世界とは残酷なもので、必ず勝敗がつく。
勝負の行方がわからないものに対し、自分がどのように向き合うのか。
相手が格上や負けるとわかっていても、前に出ざるを得ない勇気と負けを受け入れられる強さがあるのか。
熟練者や勝者になった時に、他人に対してどのような接し方をしているのか。
素直に教えを乞う姿勢があるのか。
柔術を継続してれば、いろんな立場の当事者になれる。
この習慣は、仕事に活かすことができる大きな学びとなるだろう。
相手の様子をよく観察して心情を汲み取り、寄り添って物事を考え相手を尊重する行動ができているのか。
このような気遣いができる人は職業人としても人としても魅力的で、自然と人が集まってくる。
損得勘定を持たず見返りを求めない優しさと気遣いが、人との縁を強くするでしょう。
この心の豊かさが”思いやり”だと思います。
以前にも書きましたが、ブラジリアン柔術を経験してたどり着いた考え方。
『強さとは本当の優しさを持つこと』
制圧するにも【制圧の美学】が存在する。
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