病気になって良かったと思うこと 正誤病者のうつうつ是好日
皆さま、ごきげんよう( ´ ▽ ` )ノ✨
自分は病気だと思った時、病院で病気に名前がついた時、そして、発症した時の辛い…原因となった出来事…
思い出すとまだ体がふるえるし、呼吸も苦しくなる…
そして、まだ、病気は治っていない
病気と名がついてる以上治るだろう(希望)
本を見ても、治療によって、考え方を変えることによって、寛解しました✨️や
やはり考え方を変えることによって、病気になって出来なくなってしまったこと、それを無理してやらないこと、ヤツと上手く付き合っていくこと
あたしは多分、後者だろう
しかし、自分はバリバリ働いて自営の飲食店に勤めていたので、発注買い出し、開店準備、仕込み、開店したら、接客、注文聞き、飲み物作る、調理補助、簡単にすぐ出せるものは作っていち早く出す(お客様のテーブルに何も無い状態を長時間作ってはいけない)、洗い物、会計、テーブルの片付け、次の人を迎える
最低でも2回転させなければ(席が満杯の状態から、新しいお客さんを迎えてまた満杯にさせる)
経営的に成り立たない
夜の店とはいえ、食事がメインの店だったので
食べ物はコストがかかる、が、あまり高い値段にはしたくない(店主のこだわり、学生が多かったので安くて量があり、そして美味いが理想)
遅い時間は、よそで飲み食いしてきた人の2軒目、3軒目の店になる
ハッキリ言って儲かるのはお酒だ
ついで出すだけだし
そして、2時閉店と言いつつ、酔っぱらいは
(うちの店主も)話し出すと止まらないのだ
店主が接客してる間に片付け、次の日の仕込み、買い物リストの作成、時には酔いすぎたお客さんを、自分の車に乗せ自宅まで送ることも
体は踊るように軽やかに動き、頭は明晰、
次々と変わっていく優先順位を頭の中でパズルの様に組み立て、
そしてそれをこなしている自分が好きだった
でも、その時のあたしはもういない
もうなれないだろう
発症以後、何個かバイトをしたけれど、
からっぽさん、丁寧なのはわかるけど、もっと早く仕事してくれないと間に合わないよ、
という理由で辞めることになる
近々の仕事では、急募の仕事で(リニューアルオープンスタッフ募集)しかも知り合いからの紹介
多分店側の人としては、これまで飲食しかやってこなかったあたしの経歴を見て、いける!
と、思ったのかどうなのか、即採用、明日から出れます、というと、手放しで喜んでくれた
しかし、今のあたしは、ちょっとした事でも正誤で立ち止まる、多動性であれにも手をつけこれにも手をつけで、、
あなたの仕事ぶりではお給料、減給させてもらうよ、ま、高々時給が100円落ちるだけだけど
(笑)
たかだかじゃねぇよ、100円の重みを知らないんか?
しかし、できない、期待に添えない、
思ってたより全然仕事できない、ガッカリだわ
と、面と向かって言われる始末…
知らないよ、勝手に期待してたのはそっちでしょ
スタッフがとにかく足りない、で
マスターが病気で半身麻痺、言語障害から立ち直っての、リニューアルオープンだとあとから知った
家族経営なのもあるし、本当に再起にかけて命がけの気持ちだったのかもしれない、が…
ある日ママさんから言われた言葉は、
こっちからあなたはクビです、とは言えないんだからね? なぜなら、不当解雇になるから
要するにあたしから辞めますと言ってくれ、と
確かに仕事は遅いが、クビにしたいほどだとは思いもしなかったので、それなりにショックを受けた
ふーむ、、、
どうやらあたしは、昔のバリバリの自分でまだいるつもりなんだ
今現在の自分が出来ること、出来ないことをちゃんと把握してない、自分の病気と向き合っていない
これは1度ちゃんと俯瞰で客観的に見て、
現在の自分自身をちゃんと知らなければいけない、そんな気持ちで辞めることを決意し伝え、
辞めるまでも手を抜いた仕事は絶対にしなかった、できなかった(それが自分のたち)
心の中で、あたしを辞めさせたことを後悔させてやる…っ!くらいに思っていた笑
最後の日まで成長!できなかったビールの早注ぎもできるようになった頃、満期を迎えて辞職
1ヶ月半くらいは落ち込んで、完全引きこもり
誰にも会いたくない、同居の母にも会いたくない、友だちにこんなぼろぼろの姿見せたくない
何より体が動かない
自分の何がいけなかったのか、ずーっと考え続ける日々
アル中なのにお酒も飲みたくない
食べ物、、お腹空かない、、
で、1週間ほどポカリ生活を送っていたある日
お腹空いた…
良方への兆しだった
食べてなかったので、胃はペッタンコ、少しずつ固形物を入れ、胃を広げ、1日3食食べれるようになった
なにがキッカケだったんだろう?
その理由のうちに点滅堂の屋良さん、小室さんとの出会い(ネットニュースで)があったと思う
どうせ散るなら散れ花吹雪
明日の結婚波立つものか
嫌なら嫌と地面の上に
赤い血潮で書いて死ね
昭和初期の歌謡曲の詩ですが、、
屋良さんの、ここで死んだらダセー!
どうせ死ぬなら好きなことをやる!
という発言と、詩は、全く真逆のようでいて、
あたしの中では不思議とリンクした
多分、両方に感じたのは
曲がらない決意、だったから
あたしの発症の瞬間のことは書きましたが、
嫌なら嫌と書いて死ねば良かった
でも、今は結果的に死ななくて良かった、と思っている
そしてなお
扉を叩く
生きるとは
あたしの好きな句ですが、扉を叩いて叩いて、
やっと開けてもそこにまた扉がある
あたしは、苦しみのネガティブなイメージで
捉えていたけど、
ある方から、
開けるのが楽しみな扉をどんどん開いてください
✨️✨️✨️
というコメをいただき、
そうか、やはり捉え方、受け取る側の気持ち次第で世界は180°かわるのだ、と確信した時だった
バリバリ仕事ができても、ホントの望むところに蓋をして、死んだように生きていてなんになる
それなら病気というキッカケでホントの自分の気持ちと向き合うことができた、今の方がステキな生き方だ
今の自分にスキしたい(笑)
そして最後に、病気になってからのメリット
スキなものはスキ
嫌なもの、出来ないことは断る、ことができるようになった✨️
長くなりましたが、お付き合いありがとうございますペコ
また、日常(病気とのつきあいかた含む)を
投稿したいと思っています
よろしくお願いします✨️
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