子どもの自律とさみしさ
自分と向き合って
進んでみたり戻ってみたりしている
娘をみて
この人は
すいぶんと大きく成長したんだな
そんな風に感じた瞬間がありました。
いろんな体験をして
喜びばかりじゃなく
傷つくこともあって
繊細であるがゆえに
その傷のように感じているものは
深く刻まれて。
そうして
自分の強さに気がついて
自分をゆるすことと向き合って
相手をゆるすことと向き合って
受け入れてをくりかえして。
わたしには話さないところで
いろいろと葛藤している姿も
たくさんみてきました。
その想いを感じてみると
ハートがあたたかくなって
感情をことばにすることは
なんだか
感じたことのすべてを満たすだけの
表現にならない感覚があるのだけれど
一番近いものは
愛が広がるような感覚
歓びが広がるような感覚でした。
子どもの成長する姿を
みさせてもらうことは
しあわせな感覚を届けてくれるもの。
そしてそれとは真逆に
わたしのハートの奥に
ほんのちょっぴり
さみしさもありました。
どんどんと
手が離れていくことへの
さみしさ。
学校を卒業していくとき
大好きだった友達や先生たちと
別れる時に感じるような
ちょっとちくりと感じるような
さみしさ。
歓びとは真逆の感情も
一緒にある。
気がつけてよかった。
置き去りにした感情は
孤独を生むから。
それと同時に
子育てで一番大変だと感じた時期
パートナーと楽しみながら
娘に関わりたかった。
よくやってるねって
言って欲しかった。
そういう想いも
ふわっと湧いてきました。
今ならね、わかる。
本当は
わたしがわたしにして欲しかったこと。
子育ては
何かを認めてもらうためでもなく
子どもへの
期待を持つことでもなく
自分の内側へ内側へと向かっていく
じみぃ〜な時間が流れていく。
個性が際立つわが子との関わりに
ストレスいっぱいになったときには
気持ちもブレて
あぁ
そっちじゃなかったよ?
そっちじゃなかったよと
気持ちをいつもの場所へと
納めていく。
その繰り返し。
そんなとき
ありのままの感情に
気づいて
心地よさとか愛とか
それだけがある
その世界へ舵をきりたかった。
ずっとそこへ向かいたかったんだな。
さみしさにフォーカスすれば
そこに執着のようなものが
芽生えてきそうだから
自分が関わってきたことの
すべてを受け入れて
よくやってたねって慈しんで
手放して
歓びにフォーカスする。
こんなにいろんなことを感じなければ
子育てはもっと楽だったかもしれないな。
こんなにもいろんなことを感じたから
子育ては楽しいのかもしれないな。
どちらにしても
子育てをとおして娘と夫が
わたしの人生にイロドリを
添えてくれたことに感謝。
お読みくださりありがとうございます!
たくさんの愛と感謝の気持ちを込めて♡