中央線の不思議-あの直線ルートはこうしてできた-
上京したての頃、地図を見た時、利用する中央線、総武線がまっすぐ敷かれていた事に疑問を抱いた。
「色んな建造物や歴史があるのになぜ主要都市にまっすぐ線路を敷けたの?」
その時に出会った「JR中央沿線なぞ解き地図」という本がすごく面白かったのでぜひ紹介させていただきたい。
まるで定規で線をひいたかのように直線に敷かれて走る中央線。路線図を広げたときに、立川〜中野間の線路がまっすぐ伸びていることが特徴的で、すごく衝撃的だった。
都内の線路はある程度クネクネとカーブしてるものだが、なぜこの直線区間ができたのだろうか?
なぜこの直線ルートになった?
中央線の前身が甲武鉄道であり、この鉄道敷設は当初、甲州街道の沿線に敷いて走らせることを計画していた。しかし、街道沿いの住民からは、汽車から出る煤煙による汚れや飛び散る火花を懸念され猛反対を受ける。よって、代替案としてでたのが、当時住居のない近郊農村だったこの地域になった。
はじめの反対運動に呆れた設計者が定規でまっすぐ線を引き、そのまま線路になったという話もある。結果として、この地域に線路を引くことで駅を中心に郊外の住宅地の形成が徐々に進んだ。
中央線と総武線の違い
中央線と総武線は御茶ノ水駅を境に分かれる
中央線と総武線はホームが隣り合っていたり、停車駅が共通したりすることから「中央・総武線」とまとめて扱われることも多い。そのため「中央線はオレンジ色で快速、総武線は黄色で各駅停車」といった程度にしか理解していないこともしばしば。
実は中央線と総武線は御茶ノ水駅を境に西に中央線、東へ向かう路線が総武線となっている。
中央沿線に若い作家たちが集まったわけは?
井伏鱒二を慕って若手作家が集結
中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、吉祥寺あたりを中心とする中央線沿線には「中央線文化圏」と呼ばれる独特の文化圏が存在する。ミュージシャンや役者、画家などを目指す若者たちが、貧しい暮らしのなかで楽しみながら創作活動に打ち込むーーー。そんなイメージだろうか。
こうした雰囲気は戦前から生まれており、井伏鱒二、太宰治、与謝野晶子、青柳瑞穂、外村繁などの作家たちが中央沿線に集い、コミュニティをつくって交流を深めていた。(脱線するが星野源やオードリーもこの辺りでネタを書いてたらしい)
その中心に井伏鱒二がおり、彼が荻窪に移り住むと、彼を慕う太宰や外村ら若い文化人が次々と移住し始めた。酒を酌み交わしつつ、文学論を語ったり、将棋を楽しんだり、盛んに交流するようになった。このサロンを「阿佐ヶ谷文士村」という。
新しい時代をつくれそうな自由な土地
井伏鱒二をはじめとする作家たちが中央沿線を選んだ理由のひとつには、自由な雰囲気にあふれたからだと考えられている。当時の中央沿線はまだ都会化されておらず、おおらかな気風が感じられた。そうした雰囲気が新しい時代をつくり上げようとする文化人を引き寄せたらしい。また、都心から高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪あたりへのアクセスもよく、家賃の相場も安かったため、若者でも住むことができた。
まとめ
この本には中央線の国有化に至るまでの歴史的背景や停車駅ごとの魅力があふれた本になっていた。個人的に読んでいてすごく面白く、実際に停車駅に降りてみるのが楽しみになった。
中央線は遅延が多い、長いにも関わらず西に向けて複々線があまりないなどネックになる部分はあるがぜひこの本を読んで、中央線知識フィルターをかけて日常を楽しんでもらいたい。