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自分で自分をコントロール

自分との自分時間ができたことで、今までアクセルばかり踏んできていた自分に気づく…

忙しい忙しいといいながら、時にはその忙しさも心地いいと思える日があるから私の中のアドレナリンはどのくらいあるのか、案外私はタフなのと思う時がある

そんな私を時折、友人や家族は「無理しすぎているのではないか」と心配している...
仕事スイッチが入るとのめり込んでしまい、時間を忘れて無理してしまう自分と、白雪姫のように何時間も起きてこない日があるから身体にとっては良くないのかもしれない...


今こうして自分と向き合う時間が増えたことで、人間って余裕がない時ほど、自分の身体との対話が出来ていないのかもしれないということに気づいた...
タフではなく、身体は無理している身体から「休みなさい」というサインが出ているのかもしれないなぁと...

助けて頂いた命

10代の頃、手術で入院した事がある
その時、腕などに皮下出血斑が所々にあったのだが、医学的な知識が不十分だった事もあり「何処かで打ったのかなぁ」という程度の認識だった
入院時にアナムネ(病状の経過聞き取り)を看護師さんからされている時に、看護師さんが、私の腕にあるその出血斑に気づく
手術前の採血で、なんと血小板が正常数値の10分の1くらいしかなかった...

受験勉強で睡眠時間1日3時間程度、食生活も1人暮らしだったため栄養を考えられておらず、簡単なもので過ごしていたのだ

先生から、病名の告知とご両親を呼んでくださいと言われたのを今でも鮮明に覚えている...

その日から、半年間私の入院生活が始まった...

人生で二度と経験したくないと思っている骨髄穿刺の検査も行った
骨髄穿刺の針が胸骨に入っていく時の痛みと音は今も鮮明に記憶に蘇る...
骨髄液を吸引する痛みは以上のものを未だかつて私は経験していない...

あの時、私を助けて下さった先生やいち早く私の出血斑を見つけて下さった看護師さんに今も感謝している...

病床で、絶対安静の指示で過ごす中主治医の先生が医学書を広げながら丁寧に病気の説明をしてくれたのを覚えている

両親にも病態的にいつ何があるか分からないと余命告知もされたみたいで、母が「ごめんね ごめんね 」と泣きながら私の前で泣いていたのを覚えている...

半年後、治療の効果があり退院する時に「助けて頂いた命 大切にしなくちゃ」と誓ったあの日から、私は健康で今日まで過ごしている...

あれから健康できたせいか、助けて頂いた命に感謝を忘れずに来ていたことに、自分時間が出来たことで振り返ることができた...

身体と心のつながり

身体の疲れ、自身で気づかなくても身体のサインは出ているのではないかと思う
そのサインが、感情のコントロールだ...

睡眠不足だったり身体の疲れが溜まってくると、心がギスギスしてくる
ギスギスの感情=イライラしている自分が顔を出してしまう

普段なら、優しくできるのに優しく出来なかったりする
分かりやすいのが、通勤の満員電車で押し寄せてくる人混み...
人に潰されそうになっても耐えているけど、余裕がないと「押さないでよー」「なんで来るの〜」とイライラモードを醸し出しそうになる自分がいる

心が余裕なくなると、一気にツイてないことばかりが振り返ってくる感じがある

だから、なるべく早くそのことに気づき、身体を労ってあげている私...



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