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『博士と狂人』と辞書と編集者

本当は、イギリス旅行に持って行こう、現地を旅行中に読もう、と思って買ったイギリスを舞台にした作品『博士と狂人』。予定変更で、2024年夏のスイス・イタリア旅行中に携帯して読んだ。

「世界最高の辞書」OED

日本語の辞書は面白いのか

今年の6月まで半年間、Audibleのポッドキャスト『ゆかいな知性』北欧編でお世話になっていたフリーアナウンサーの加納有沙さんが、現在も『ゆかいな知性』を継続していらっしゃる。その、「日本語学編」で、もう一人の話者のサンキューたつおさんが、辞書にはキャラがあるという話をしていて、とても興味を惹かれた。ちょっとお茶目な辞書学級委員タイプの辞書など、それぞれにこだわりがあり、故に特徴があって、単語の意味の提示の仕方が変わっているんだそうだ。

私は、国語辞書には、それほど思い入れもなくて、学生時代に「購入せよ」という命令には辟易した。どうせ授業以外で使わないよって思っていたし、国語の最も嫌いな宿題は、「新出語を調べてノートに書いてくる」というものだったのは、とてもよく覚えている。このサンキューたつおさんのポッドキャスト「日本語学編」を学生時代に聞いていたら、私は、国語の辞書調べの宿題が好きになっていたかもしれない。

国語辞書の話が面白くて、ふと積読になっていた書籍『博士と狂人』を思い出して手に取った。そのまま旅行カバンの中に入れ、1週間の欧州ハイキング旅行に携帯したわけだ。

「博士と狂人」の物語性

『博士と狂人』は、サブタイトルにもあるように世界最高の辞書Oxford English Dictionary、いわゆるOEDの誕生秘話(A Tale of Murder, Insanity, and the making of the Oxford English Dictionary)である。英国の知識の権威であるOxford大学が、マレー氏を雇用し英語辞書作成の大事業に乗り出す。その物語に欠かせないのが、米国人で英国の刑務所に精神障害で幽閉されていたマイナー博士である。マレー氏も優秀な人であるが、マイナー博士の支援がなければ、辞書の完成はうまくいかなかっただろうと言われている。

『博士と狂人』が興味深いのは、登場する2人の主人公がとてつもなく魅力的で狂人的だからなんだろうと思う。二人の狂人ぶりとオタクぶりが面白く、辞書を編集するというのは、どういうことなんだろうと、物語を読みながら、延々と考え続けた。

本作品は、物語調の文体であるが、ドキュメンタリーでもある。ゆえに、『博士と狂人』では、時折物語的な決断を避け、曖昧な言い回しで事実と思われることを言及して終わらせようとする部分もあった。読み手としては、霧の中を歩いているようで、少々歯痒い。

マレーもマイナーも「痩せ細っていて目が窪んでいる」などの描写からも神経質で猫背でこだわりを持っているというようなちょっとオタク系の人物像が浮かび上がってくる。そのような人でなければ、地道で細かい、さらに正確が重視される辞書を作るといったプロジェクトを達成することは難しいだろう。そんな人たちはやはりちょっと一般常識的にはおかしいと言われる部分があっても不思議ではないのだろうと思ってしまう。だからこそ余計に、この物語は魅力的に思える。

オックスフォード英語辞典の権威と編集者

辞書を面白いとずっと思えなかった私は、もちろんオックスフォード英語辞典Oxford English Dictionary OEDがそれほど権威と捉えられていることは、全く知らなかった。確かに学生の頃に、先生に勧められて英・英辞書としてOEDの簡易版を使っていたが、改めて、『博士と狂人』を読んで、OED辞書をめくりたくなった。

少し前に、Oxford Research Encyclopedia of Communicationから、依頼を受けて、「Reflection on Digital Cities(デジタルシティを振り返る)」というDigital Cityと今のSmart Cityの関係性についての考察を論文としてまとめたのだが、編集者がとても誇りを持って編集の仕事をしていて、驚かされたことがある。思い返して、関係ないのに、Oxfordという言葉が共通しているというだけで、勝手に胸を熱くしたりした。

私は、今まで機会に恵まれて本を何冊か出版してきたが、その時の編集者のこだわりもとてつもなく印象深い。編集というのは、作家の言葉をまとめつつ、編集者の一本の筋を通し、編集者と作家が一つの作品を仕上げていくことなんだろうと思う。そして、その究極的な作品として、辞書がある。辞書は客観的なイメージを与えるが、編集者の想いが深く込められている作品だ。

映画で見る『博士と狂人』

ちなみに、書籍は旅行中に読み終わり、帰宅してから、気になっていた映画版『博士と狂人』を視聴した(「博士と狂人」はプライムビデオでも見ることができる)。メル・ギブソンとショーン・ペンが熱演している素晴らしい映画だった。全然オタクには見えない二人だが、まぁ、よしとする。

とはいえ、書籍は書籍で、時間が前後したり、事実はよくわからずに進む場合や、先に言及したことと合わないぞ、と思う部分も多々あり、わかりにくいところも多い。とはいえ、正直、書籍を読まずに、映画だけを見てしまうと、2時間にまとめているので、さまざまな背景が掴みにくいだろうとは思う。だから、書籍を読んでからの視聴は大いにおすすめしたい。複雑な書籍構成も、映画ではシンプルに物語の大枠を描いているから。

さらに、映画は、書籍でのイメージを視覚的に補完してくれたため、物語に彩りが出て、個人的にはとても良かった。用語のカードを収集していくシーンなどは、本を読んでいただけではイメージがしにくかったのだが、どのように一つの用語の意味がまとめ上げられていったのかが、とても美しく描かれていた。

映画にひとつ難をいうとすれば、物語が脚色されすぎていて(映画化には必要だったのだろうが)、違和感を感じてしまった。特に、マイナーが性的に病んでいたという部分は、書籍では折に触れ繰り返し語られていたけれども、映画では暗に示していただけな点は不満として残る。そして、ちょっとした恋物語になっていたところが、映画としては美しいとはいえ、一部恥ずかしすぎた。

メル・ギブソンとショーン・ペン




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