誰かがそばにいる
先月末、教養のエチュード賞に初めて参加した。
読んでいただいた方から、温かい言葉を頂戴した。とっても有難い言葉たちだった(涙出た)
やめるタイミングなんていくらでもくる。
進学、卒業、就職、結婚、出産、介護、離婚…
そこでどれだけ続けられるかよ。
私が今までうたを続けてこれたのは、運がよかったんだと思う。
母は私がやりたいと言ったことはたいてい反対しなかった。代わりに自分で言い出したんだから最後までやりなさいねとは言われたけど。
声楽を習いたい、音大に行きたいと言った時も、うんと言ってくれた。
「あっこちゃんは歌えるんだからどんどんうたわなくちゃ~!」
「歌えるんだからオペラアリア!アリア歌って!」
どんなときでも私をひっぱりあげてくれたのは、声楽の師匠だ。
師匠に出会ってなければ私はきっとうたっていない。そこらへんで野垂れ死んでいたと思う。
私という人間と向き合って、いつでも真摯に言葉を投げかけてくれた。
一生かかっても返せないご恩をいただいた。今もいただいている。
夫も出会ったときからずっと、どんどん歌えばいいと言ってくれている。
私が本番にでかけるときも、レッスンにでかけるときも、いつでも快く送り出してくれる。感謝しかない。
大学生の頃から通っている師匠のレッスンには色んな人が来ていた。
来るもの拒まず去るもの追わず。
私のような大学生、音大受験を目指す高校生、卒業してもうたを続けている人、健康のためにと歌を始めた人。今まで音楽をやっていなかった人もたくさんいた。
子どもが手を離れた専業主婦の人もいた。旦那さんがレッスンに通うことをよく思っていないらしい。早く帰ってこいとメールがくると言っていた。
三児を育てるお母さんもいた。音大に行きたかったが親に反対され、国公立の教育学部の音楽科の受験しか許してもらえなかった。必死になって受験勉強したけど試験当日にインフルエンザにかかって受験できなかった。それから、ずっと歌を続けている人だった。
ミュージカルが大好きな小学生もいた。自宅から車で1時間かけて通ってきている子だった。いまはどうしてるんだろう。
病気を抱えながら歌っている人もいた。今を大事に、そう生きている人だった。
師匠のレッスンは音楽と向き合い、自分自身と向き合う場であった。音楽を通して自分自身を見ていた。音を奏でるというのはそういうものなのかもしれない。
私が今うたえていることは当たり前ではない。とても有り難いことなのだ。それを忘れず毎日を生きていきたい。
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「諦める」というのは「明らかに究める」ということだ、と幸子さまが言っていた。
何か打ち込んでいることを、やりきった、これ以上は無い、ここまででいい、そう思えるのは自分を明らかに見ているから前向きな決断。辞めたとしてもそこまでやってきたことが財産。ラジオでそう言ってた。
続けるも覚悟。辞めるも覚悟。
どちらも決して後ろ向きなことではない。
どうしたって歌えなくなる日はくるんだからね。
人として生まれ 人として生きる
どんな道が待っていても 自分だけの人生
哀しみ苦しみ たとえつらくても
夢を追い求める それが人の運命(さだめ)
私がゆく道 信じたこの道
一人ぼっちじゃない 誰かがそばにいる
そうよ一人じゃない 誰かがそばにいる
今日も当たり前の幸せに感謝を。
最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!